LITERATURE

忘れえぬ人々

国木田独歩

 

Published in April 1898|Archived in January 11th, 2025

Image: Utagawa Hiroshige, “Thirty-six Views of Mt. Fuji: Musashino”, 1852.

CONTENTS

TEXT

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

底本の行頭の字下げは上げた。
WEB上での可読性を鑑み、ルビは難読漢字に限った。

BIBLIOGRAPHY

著者:国木田独歩(1871-1908)
題名:忘れえぬ人々
初出:1898年4月(『國民之友 4月』)
出典:『日本文学全集 12 国木田独歩 石川啄木集』(集英社。1972年。43-59ページ)

多摩川の二子(ルビ:ふたご)の渡(ルビ:わたし)をわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中ほどに亀屋という旅人宿(ルビ:はたごや)がある。ちょうど三月の初めのころであった、この日は大空かき曇り北風強く吹いて、さなきだにさびしいこの町が一段ともの淋しい陰鬱な寒そうな光景を呈していた。昨日降った雪がまだ残っていて高低定まらぬ茅屋根(ルビ:わらやね)の南の軒先からは雨滴が風に吹かれて舞うて落ちている。草鞋(ルビ:わらじ)の足痕にたまった泥水にすら寒そうな漣(ルビ:さざなみ)が立っている。日が暮れると間もなくたいがいの店は戸を閉めてしまった。闇(ルビ:くら)い一筋町がひっそりとしてしまった。旅人宿だけに亀屋の店の障子には燈火が明(ルビ:あか)く射していたが、今宵は客もあまりないと見えて内もひっそりとして、おりおり雁頸(ルビ:がんくび)の太そうな煙管(ルビ:きせる)で火鉢の縁を敲(ルビ:たた)く音がするばかりである。
 
だしぬけに障子をあけて一人ひとりの男がのっそり入ッて来た。長火鉢に寄っかかッて胸算用(ルビ:むなざんよう)に余念もなかった主人(ルビ:あるじ)が驚いてこちらを向く暇もなく、広い土間を三歩(ルビ:みあし)ばかりに大股に歩いて、主人の鼻先に突ったッた男は年ごろ三十にはまだ二ツ三ツ足らざるべく、洋服、脚絆(ルビ:きゃはん)、草鞋の旅装(ルビ:なり)で鳥打帽をかぶり、右の手に蝙蝠傘(ルビ:こうもり)を携え、左に小さな革包(ルビ:かばん)を持ってそれをわきに抱いていた。
 
「一晩厄介になりたい」
 
主人は客の風采(ルビ:みなり)を視ていてまだ何とも言わない、その時奥で手の鳴る音がした。
 
「六番でお手が鳴るよ」
 
 哮(ルビ:ほ)えるような声で主人は叫んだ。
 
「どちらさまでございます」
 
主人は火鉢に寄っかかったままで問うた。客は肩を聳(ルビ:そびや)かしてちょっと顔をしがめたが、たちまち口のほとりに微笑(ルビ:ほほえみ)をもらして、
 
「僕か、僕は東京」
 
「それでどちらへお越しでございますナ」
 
「八王子へ行くのだ」
 
と答えて客はそこに腰を掛け脚絆の緒を解きにかかった。
 
「旦那、東京から八王子なら道が変でございますねエ」
 
主人は不審そうに客のようすを今さらのように睇(ルビ:なが)めて、何か言いたげな口つきをした。客はすぐ気が付いた。
 
「いや僕は東京だが、今日きょう東京から来たのじゃアない、今日は晩(ルビ:おそ)くなって川崎を出発(ルビ:たっ)て来たからこんなに暮れてしまったのさ、ちょっと湯をおくれ」
 
「早くお湯を持って来ないか。ヘエずいぶん今日はお寒かったでしょう、八王子の方はまだまだ寒うございます」
 
という主人の言葉はあいそ(ルビ:、、、)があっても一体の風つきはきわめて無愛嬌である。年は六十ばかり、肥満(ルビ:ふと)った体躯(ルビ:からだ)の上に綿の多い半纒(ルビ:はんてん)を着ているので肩からじきに太い頭が出て、幅の広い福々しい顔の目眦(ルビ:まなじり)が下がっている。それでどこかに気懊(ルビ:きむずか)しいところが見えている。しかし正直なお爺(ルビ:やじ)さんだなと客はすぐ思った。
 
客が足を洗ッてしまッて、まだふききらぬうち、主人は、
 
「七番へご案内申しな!」
 
と怒鳴ッた。それぎりで客へは何の挨拶もしない、その後姿を見送りもしなかった。真黒な猫が厨房(ルビ:くりや)のほうから来て、そッと主人の高い膝の上に這い上がって丸くなった。主人はこれを知っているのかいないのか、じっと眼をふさいでいる。しばらくすると、右の手が煙草箱(ルビ:たばこいれ)のほうへ動いてその太い指が煙草を丸めだした。
 
「六番さんのお浴湯(ルビ:ゆ)がすんだら七番のお客さんをご案内申しな!」
 
膝の猫がびっくりして飛下りた。
 
「ばか! 貴様にいったのじゃないわ。」
 
猫は驚惶(ルビ:あわ)てて厨房のほうへ駈けていってしまった。柱時計がゆるやかに八時を打った。
 
「お婆さん、吉蔵が眠むそうにしているじゃないか、早く被中炉(ルビ:あんか)を入れてやってお寝かしな、可愛そうに」
 
主人の声のほうが眠むそうである、厨房のほうで、
 
「吉蔵はここで本を復習(ルビ:さらっ)ていますじゃないかね」
 
お婆さんの声らしかった。
 
「そうかな。吉蔵もうお寝よ、朝早く起きてお復習いな。お婆さん早く被中炉を入れておやんな」
 
「今すぐ入れてやりますよ」
 
勝手のほうで下婢(ルビ:かひ)とお婆さんと顔を見あわしてくすくすと笑った。店のほうで大きな欠伸(ルビ:あくび)の声がした。
 
「自分が眠いのだよ」
 
五十を五つ六つ越えたらしい小さな老母が煤(ルビ:くす)ぶった被中炉に火を入れながら呟やいた。
 
店の障子が風に吹かれてがたがたすると思うとパラパラと雨を吹きつける音がかすかにした。
 
「もう店の戸を引き寄せておきな」と主人は怒鳴って、舌打ちをして、
 
「また降ってきやあがった」


と独言(ルビ:ひとりごと)のようにつぶやいた。なるほど風がだいぶ強くなって雨さえ降りだしたようである。
 
春先とはいえ、寒い寒い霙(ルビ:みぞれ)まじりの風が広い武蔵野を荒れに荒れて終夜(ルビ:よもすがら)、真闇(ルビ:まっくら)な溝口の町の上を哮え狂った。
 
七番の座敷では十二時過ぎてもまだ洋燈(ルビ:らんぷ)が耿々(ルビ:こうこう)と輝いている。亀屋で起きている者といえばこの座敷の真中で、差向かいで話している二人の客ばかりである。戸外(ルビ:そと)は風雨の声いかにも凄まじく、雨戸が絶えず鳴っていた。
 
「この模様では明日のお立ちはむりですぜ」
 
と一人が相手の顔を見て言った。これは六番の客である。
 
「何に、べつに用事はないのだから明日一日くらいここで暮らしてもいいんです」
 
二人とも顔を赤くして鼻の先を光からしている。そばの膳の上には煖陶(ルビ:かんびん)が三本乗っていて、盃には酒が残っている。二人とも心地よさそうに体をくつろげて、胡座(ルビ:あぐら)をかいて、火鉢を中にして煙草を吹かしている、六番の客は袍巻(ルビ:かいまき)の袖から白い腕を臂(ルビ:ひじ)まで出して巻煙草の灰を落としては、喫煙(ルビ:すっ)ている。二人の話しぶりはきわめて率直であるものの今宵初めてこの宿舎(ルビ:やど)で出あって、何かの口緒から、二口三口襖越(ルビ:ふすまご)しの話があって、あまりの淋しさに六番の客から押しかけて来て、名刺の交換がすむや、酒を命じ、談話(ルビ:はなし)に実が入って来るや、いつしか丁寧な言葉とぞんざい(ルビ:、、、、)な言葉とを半混(ルビ:はんまぜ)に使うようになったものに違いない。
 
七番の客の名刺には大津弁二郎とある、別に何の肩書もない。六番の客の名刺には秋山松之助とあって、これも肩書がない。
 
大津とはすなわち日が暮れて着いた洋服の男である。痩形なすらりとして色の白いところは相手の秋山とはまるで違っている。秋山は二十五か六という年輩で、丸く肥満(ルビ:こえ)て赤ら顔で、目元に愛嬌があって、いつもにこにこしているらしい。大津は無名の文学者で、秋山は無名の画家で不思議にも同種類の青年がこの田舎の旅宿で落ちあったのであった。
 
「もう寝ようかねエ。ずいぶん悪口もいいつくしたようだ」
 
美術論から文学論から宗教論まで二人はかなり勝手に饒舌(ルビ:しゃべ)って、現今の文学者や画家の大家を手ひどく批評して十一時が打ったのに気がつかなかったのである。
 
「まだいいさ。どうせ明日はだめでしょうから夜通し話したってかまわないさ」
 
画家の秋山はにこにこしながらいった。
 
「しかし何時(ルビ:いくじ)でしょう」
 
と大津は投げだしてあった時計を見て、
 
「おやもう十一時過ぎだ」
 
「どうせ徹夜でさあ」
 
秋山はいっこう平気である。盃を見つめて、
 
「しかし君が眠むけりやあ寝てもいい」
 
「眠くはちっともない、君が疲かれているだろうと思ってさ。僕は今日晩く川崎を立って三里半ばかしの道を歩いただけだから何ともないけれど」
 
「何に僕だって何ともないさ、君が寝るならこれを借りていって読んでみようと思うだけです」
 
秋山は半紙十枚ばかりの原稿らしいものを取上げた。その表紙には「忘れ得ぬ人々」と書いてある。
 
「それはほんとにだめですよ。つまり君のほうでいうと鉛筆で書いたスケッチと同じことで他人にはわからないのだから」
 
といっても大津は秋山の手からその原稿を取ろうとはしなかった。秋山は一枚二枚開けてみてところどころ読んでみて、
 
「スケッチにはスケッチだけのおもしろ味があるからすこし拝見したいねエ」
 
「まアちょっと借してみたまえ」
 
と大津は秋山の手から原稿を取って、ところどころあけてみていたが、二人はしばらく無言であった。戸外の風雨の声がこの時今さらのように二人の耳に入った。大津は自分の書いた原稿を見つめたままじっと耳を傾けて夢心地になった。
 
「こんな晩は君の領分だねエ」
 
秋山の声は大津の耳に入らないらしい。返事もしないでいる。風雨の音を聞いているのか、原稿を見ているのか、はた遠く百里のかなたの人を憶(ルビ:おも)っているのか、秋山は心のうちで、大津の今の顔、今の眼元はわが領分だなと思った。
 
「君がこれを読むよりか、僕がこの題で話したほうがよさそうだ。どうです、君は聴きますか。この原稿はほんの大要(ルビ:あらまし)を書き止めて置いたのだから読んだって解(ルビ:わか)らないからねエ」
 
夢から寤(ルビ:さ)めたような目つきをして大津は眼を秋山のほうに転じた。
 
「詳細(ルビ:くわし)く話して聞かされるならなおのことさ」
 
と秋山が大津の眼を見ると、大津の眼はすこし涙にうるんでいて、異様な光を放っていた。
 
「僕はなるべく詳しく話すよ、おもしろくないと思ったら、遠慮なく注意してくれたまえ。その代り僕も遠慮なく話すよ。なんだか僕のほうで聞いてもらいたいような心持になってきたから妙じゃあないか」
 
秋山は火鉢に炭をついで、鉄瓶の中へ冷めた煖陶を突っ込んだ。
 
「忘れえぬ人は必ずしも忘れて叶うまじき人にあらず、見たまえ僕のこの原稿の劈頭(ルビ:へきとう)第一に書いてあるのはこの句である」
 
大津はちょっと秋山の前にその原稿を差しいだした。
 
「ね。それで僕はまずこの句の説明をしようと思う。そうすればおのずからこの文の題意が解るだろうから。しかし君にはたいがいわかっていると思うけれど」
 
「そんなことを言わないで、ずんずん遣(ルビ:や)りたまえよ。僕は世間の読者のつもりで聴いているから。失敬、横になって聴くよ」
 
秋山は煙草を啣(ルビ:くわ)えて横になった。右の手で頭を支えて大津の顔を見ながら眼元に微笑を湛えている。
 
「親とか子とかまたは朋友知己そのほか自分の世話になった教師先輩のごときは、つまり単に忘れえぬ人とのみはいえない。忘れて叶うまじき人といわなければならない、そこでここに恩愛の契(ルビ:ちぎり)もなければ義理もない、ほんのあかの他人であって、本来をいうと忘れてしまったところで人情をも義理をも欠かないで、しかもついに忘れてしまうことのできない人がある。世間一般の者にそういう人があるとはいわないがすくなくとも僕にはある。おそらくは君にもあるだろう」
 
秋山はだまってうなずいた。
 
「僕が十九の歳の春の半ごろと記憶しているが、すこし体躯の具合が悪いのでしばらく保養する気で東京の学校を退いて国へ帰える、その帰途(ルビ:かえりみち)のことであった。大阪から例の瀬戸内通いの汽船に乗って春海波平らな内海を航するのであるが、ほとんど一昔も前の事であるから、僕もその時の乗合の客がどんな人であったやら、船長がどんな男であったやら、茶菓を運ぶボオイの顔がどんなであったやら、そんなことはすこしも憶えていない。たぶん僕に茶を注いでくれた客もあったろうし、甲板の上でいろいろと話しかけた人もあったろうが、何にも記憶に止まっていない。
 
「ただその時は健康が思わしくないからあまり浮き浮きしないでもの思いに沈んでいたに違いない。絶えず甲板の上に出で将来(ルビ:ゆくすえ)の夢を描いてはこの世における人の身の上のことなどを思いつづけていたことだけは記憶している。もちろん若いものの癖でそれも不思議はないが。そこで僕は、春の日の閑(ルビ:のど)かな光が油のような海面に融けほとんど漣も立たぬ中を船の船首(ルビ:へさき)が心地よい音をさせて水を切って進行するにつれて、霞(ルビ:かすみ)たなびく島々を迎えては送り、右舷左舷の景色をながめていた。菜の花と麦の青葉とで錦を敷いたような島々がまるで霞の奥に浮いているように見える。そのうち船がある小さな島を右舷に見てその磯から十町とは離れない処を通るので僕は欄(ルビ:らん)に寄り何心(ルビ:なにげ)なくその島を眺めていた。山の根がたのかしこここに背の低い松が小杜(ルビ:こもり)を作っているばかりで、見たところ畑もなく家らしいものも見えない。しんとして淋びしい磯の退潮(ルビ:ひきしお)の痕が日に輝(ルビ:ひか)って、小さな波が水(ルビ:み)ぎわを弄んでいるらしく長い線(ルビ:すぎ)が白刃のように光っては消えている。無人島でないことはその山よりも高い空で雲雀(ルビ:ひばり)が啼いているのがかすかに聞こえるのでわかる。田畑ある島と知れけりあげ雲雀、これは僕の老父(ルビ:おやじ)の句であるが、山のむこうには人家があるに相違ないと僕は思うた。と見るうち退潮の痕の日に輝っている処に一人の人がいるのが目についた。たしかに男である、また小供でもない。何かしきりに拾っては籠か桶かに入れているらしい。二三歩あるいてはしゃがみ(ルビ:、、、、)、そして何か拾ろっている。自分はこの淋しい島かげの小さな磯を漁っているこの人をじっと眺めていた。船が進むにつれて人影が黒い点のようになってしまった、そのうち磯も山も島全体が霞のかなたに消えてしまった。その後今日が日までほとんど十年の間、僕は何度この島かげの顔も知らないこの人を憶い起こしたろう。これが僕の「忘れ得ぬ人々」の一人である。
 
「その次は今から五年ばかり以前、正月元旦を父母の膝下(ルビ:ひざもと)で祝ってすぐ九州旅行に出かけて、熊本から大分へと九州を横断した時のことであった。
 
「僕は朝早く弟と共に草鞋脚絆で元気よく熊本を出発った。その日はまだ日が高いうちに立野という宿場まで歩いてそこに一泊した。次ぎの日のまだ登らないうち立野を立って、かねての願いで、阿蘇山の白煙を目がけて霜を蹈み桟橋を渡り、路を間違えたりしてようやく日中(ルビ:おひる)時分に絶頂近くまで登り、噴火口に達したのは一時過ぎでもあッただろうか。熊本地方は温暖であるがうえに、風のないよく晴れた日だから、冬ながら六千尺の高山もさまでは寒く感じない。高嶽の絶頂は噴火口から吐き出す水蒸気が凝って白くなっていたがそのほかは満山ほとんど雪を見ないで、ただ枯草白く風にそよぎ、焼土のあるいは赤きあるいは黒きが旧噴火口の名残をかしこここに止めて断崕をなし、その荒涼たる、光景は、筆も口も叶わない、これを描くのはまず君の領分だと思う。
 
「僕らは一度噴火口の縁まで登って、しばらくは凄まじい穴を覗きこんだり四方の大観を恣(ルビ:ほしいまま)にしたりしていたが、さすがに頂は風が寒くってたまらないので、穴からすこし下りると阿蘇神社があるそのそばに小さな小屋があって番茶くらいは呑ませてくれる、そこへ逃げこんで団飯を齧って、元気をつけて、また噴火口まで登った。
 
「その時は日がもうよほど傾いて肥後の平野を立籠めている霧靄が焦げて赤くなってちょうどそこに見える旧噴火口の断崕と同じような色に染まった。円錐形に聳えて高く群峰を抜く九重嶺の裾野の高原数里の枯れ草が一面に夕陽を帯び、空気が水のように澄んでいるので人馬の行くのも見えそうである。天地寥廓、しかも足もとではすさまじい響をして白煙濛々と立騰り真直ぐに空を衝ききゅうに折れて高嶽を掠め天の一方に消えてしまう。壮といわんか美といわんか惨といわんか、僕らはだまったまま一言ごんも出さないでしばらく石像のように立っていた。この時天地悠々の感、人間存在の不思議の念などが心の底から湧いてくるのは自然のことだろうと思う。
 
「ところでもっとも僕らの感を惹いたものは九重嶺と阿蘇山との間の一大窪地であった。これはかねて世界最大の噴火口の旧跡と聞いていたがなるほど、九重嶺の高原がきゅうに頽(ルビ:おち)こんでいて数里に亘る絶壁がこの窪地の西を廻っているのが眼下によく見える。男体山麓の噴火口は明媚幽邃の中禅寺湖と変わっているがこの大噴火口はいつしか五穀実る数千町歩の田園とかわって村落幾個の樹林や麦畑が今しも斜陽静かに輝やいている。僕らがその夜、疲れた足を蹈みのばして罪のない夢を結ぶを楽しんでいる宮地という宿駅もこの窪地にあるのである。
 
「いっそのこと山上の小屋に一泊して噴火の夜の光景を見ようかという説も二人の間に出たが、先きが急がれるのでいよいよ山を下ることに決めて宮地を指して下りた。下りは登りよりかずっと勾配が緩るやかで、山の尾や谷間の枯草の間を蛇へびのように蜿蜒(ルビ:うね)っている路を辿って急ぐと、村に近づくにつれて枯草を着けた馬をいくつか逐(ルビ:おい)こした。あたりを見るとかしこここの山尾の小路をのどかな鈴の音夕陽を帯びて人馬いくつとなく麓をさして帰りゆくのが数えられる、馬はどれも皆な枯草を着けている。麓はじきそこに見えていても容易には村へ出ないので、日は暮れかかるし僕らは大急ぎに急いでしまいには走って下りた。
 
「村に出た時はもう日が暮れて夕闇ほのぐらいころであった。村の夕暮れのにぎわい(ルビ:、、、、)は格別で、壮年男女は一日の仕事のしまい(ルビ:、、、)に忙しく子供は薄暗い垣根の蔭や竈(ルビ:かまど)の火の見える軒先に集まって笑ったり歌ったり泣いたりしている、これはどこの田舎も同じことであるが、僕は荒涼たる阿蘇の草原から駆け下りて突然、この人寰(ルビ:じんかん)に投じた時ほど、これらの光景に搏(ルビ:う)たれたことはない。二人は疲れた足を曳きずって、日暮れて路遠きを感じながらも、懐かしいような心持で宮地を今宵の当に歩いた。
 
「一村離れて林や畑の間をしばらく行くと日はとっぷり暮れて二人の影がはっきりと地上に印するようになった。振向いて西の空を仰ぐと阿蘇の分派の一峰の右に新月がこの窪地一帯の村落を我物顔に澄んで蒼味がかった水のような光を放っている。二人は気がついてすぐ頭の上を仰ぐと、昼間は真っ白に立ちのぼる噴煙が月の光を受けて灰色に染まって碧瑠璃(ルビ:へきるり)の大空を衝いているさまが、いかにも凄まじくまた美しかった。長さよりも幅のほうが長い橋にさしかかったから、幸いとその欄に倚っかかって疲れきった足を休めながら二人は噴煙のさまのさまざまに変化するを眺めたり、聞くともなしに村落の人語の遠くに聞こゆるを聞いたりしていた。すると二人が今来た道のほうから空車らしい荷車の音が林などに反響して虚空に響きわたってしだいに近づいてくるのが手に取るように聞こえだした。
 
「しばらくすると朗々(ルビ:ほがらか)な澄んだ声で流して歩るく馬子唄(ルビ:まごうた)が空車の音につれて漸々(ルビ:ぜんぜん)と近づいてきた。僕は噴煙を眺めたままで耳を傾けて、この声の近づくのを待つともなしに待っていた。
 
「人影が見えたと思うと『宮地やよいところじゃ阿蘇山ふもと』という俗謡(ルビ:うた)を長く引いてちょうど僕らが立っている橋のすこし手前まで流してきたその俗謡の意(ルビ:こころ)と悲壮な声とがどんなに僕の情(ルビ:こころ)を動かしたろう。二十四五かと思われる屈強な壮漢(ルビ:わかもの))が手綱を牽いて僕らのほうを見向きもしないで通ってゆくのを僕はじっとみつめていた。夕月の光を背にしていたからその横顔もはっきりとは知れなかったがその逞(ルビ:たくま)しげな体躯の黒い輪郭が今も僕の目の底に残っている。
 
「僕は壮漢の後影をじっと見送って、そして阿蘇の噴煙を見あげた。『忘れ得ぬ人々』の一人はすなわちこの壮漢である。
 
「その次は四国の三津ケ浜に一泊して汽船便を待った時のことであった。夏の初めと記憶しているが僕は朝早く旅宿を出て汽船の来るのは午後と聞いたのでこの港の浜や町を散歩した。奥に松山を控えているだけこの港の繁盛は格別で、わけても朝は魚市が立つので魚市場の近傍の雑沓(ルビ:ざっとう)は非常なものであった。大空は名残なく晴れて朝日麗らかに輝き、光る物には反射を与え、色あるものには光を添えて雑沓の光景をさらに殷々(ルビ:にぎにぎ)しくしていた。叫ぶもの呼ぶもの、笑声嬉々としてここに起これば、歓呼怒罵乱れてかしこに湧くというありさまで、売るもの買うもの、老若男女、いずれも忙しそうにおもしろそうに嬉しそうに、駈けたり追ったりしている。露店が並んで立食の客を待っている。売っている品(ルビ:もの)は言わずもがなで、喰ってる人はたいだい船頭船方の類いにきまっている。鯛や比良目(ルビ:ひらめ)や海鰻(ルビ:あなご)や章魚(ルビ:たこ)が、そこらに投げだしてある。腥(ルビ:なまぐさ)い臭いが人々の立騒ぐ袖や裾に煽られて鼻を打つ。
 
「僕はまったくの旅客でこの土地には縁もゆかりもない身だから、知る顔もなければ見覚えの禿頭もない。そこで何となくこれらの光景が異様な感を起こさせて、世の様を一段鮮かに眺めるような心地がした。僕はほとんど自己を忘れてこの雑沓のうちをぶらぶらと歩き、ややもの静かなる街(ルビ:ちまた)の一端(ルビ:はし)に出た。
 
「するとすぐ僕の耳に入ったのは琵琶の音であった。そこの店先に一人の琵琶僧が立っていた。歳のころ四十を五ツ六ツも越えたらしく、幅の広い四角な顔の丈の低い肥満(ルビ:こえ)た漢子(ルビ:おとこ)であった。その顔の色、その眼の光はちょうど悲しげな琵琶の音にふさわしく、あの咽ぶような糸の音につれて謡う声が沈んで濁って淀んでいた。巷の人は一人もこの僧を顧みない、家々の者は誰もこの琵琶に耳を傾ける風も見せない。朝日は輝く浮世は忙わしい。
 
「しかし僕はじっとこの琵琶僧を眺めて、その琵琶の音に耳を傾けた。この道幅の狭い軒端(ルビ:のきば)の揃わない、しかも忙しそうな巷の光景がこの琵琶僧とこの琵琶の音とに調和しないようでしかもどこかに深い約束があるように感じられた。あの嗚咽する琵琶の音が巷の軒から軒へと漂うて勇ましげな売り声や、かしましい鉄砧(ルビ:かなしき)の音にまざって、べつに一道の清泉が濁波の間を潜(ルビ:く)ぐって流れるようなのを聞いていると、嬉しそうな、浮き浮きした、おもしろそうな、忙しそうな顔つきをしている巷の人々の心の底の糸が自然の調(ルビ:しらべ)をかなでているように思われた、『忘れえぬ人々』の一人はすなわちこの琵琶僧である」
 
ここまで話して来て大津は静かにその原稿を下に置いてしばらく考え込んでいた。戸外の雨風の響きは少しも衰えない。秋山は起きなおって、
 
「それから」
 
「もうよそう、あまり更けるから。まだいくらもある。北海道歌志内の鉱夫、大連湾頭の青年漁夫、番匠川の瘤ある舟子など僕がいちいちこの原稿にあるだけを詳わしく話すなら夜が明けてしまうよ。とにかく、僕がなぜこれらの人々を忘るることができないかという、それは憶い起こすからである。なぜ僕が憶い起こすだろうか。僕はそれを君に話してみたいがね。
 
「ようするに僕は絶えず人生の問題に苦しんでいながらまた自己将来の大望に圧せられて自分で苦しんでいる不幸(ルビ:ふしあわせ)な男である。
 
「そこで僕は今夜のような晩に独り夜更けて燈に向かっているとこの生の孤立を感じて堪え難いほどの哀情を催おしてくる。その時僕の主我の角がぼきり折れてしまって、何んだか人懐かしくなってくる。いろいろの古いことや友の上を考えだす。その時油然として僕の心に浮かんでくるのはすなわちこれらの人々である。そうでない、これらの人々を見た時の周囲の光景のうちに立つこれらの人々である。我れと他と何の相違があるか、皆なこれこの生を天の一方地の一角に享けて悠々たる行路を辿り、相携えて無窮の天に帰る者ではないか、というような感が心の底から起こって来て我知らず涙が頬をつたうことがある。その時はじつに我もなければ他もない、ただ誰れもかれも懐かしくって、忍ばれてくる、
 
「僕はその時ほど心の平穏を感ずることはない、その時ほど自由を感ずることはない、その時ほど名利競争の俗念消えてすべての物に対する同情の念の深い時はない。
 
「僕はどうにかしてこの題目で僕の思う存分に書いてみたいと思うている。僕は天下かならず同感の士あることと信ずる」
 
その後二年経った。
 
大津はゆえあって東北のある地方に住まっていた。溝口の旅宿で初めて遇った秋山との交際はまったく絶えた。ちょうど、大津が溝口に泊まった時の時候であったが、雨の降る晩のこと。大津は独り机に向かって瞑想に沈んでいた。机の上には二年前秋山に示した原稿と同じの「忘れ得ぬ人々」が置いてあって、その最後に書き加えてあったのは「亀屋の主人」であった。
 
「秋山」ではなかった。