PHILOSOPHY

庭園について

フランシス・ベーコン

神吉三郎訳

Published in 1625|Archived in December 1st, 2023

Image: Edmund Hort New, "Frontispiece from Francis Bacon's 'Of Gardens'", 1902.

CONTENTS

TEXT

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

旧字・旧仮名遣いは現代的な表記に改め、一部の漢字は開いた。
二箇所の注釈は割愛した。
底本の行頭の一字下げは一字上げに変えた。

BIBLIOGRAPHY

著者:フランシス・ベーコン(1561 - 1626)訳者:神吉三郎
題名:庭園について
初出:1625年翻訳初出:1935年(岩波書店)
出典:『ベーコン随筆集』(岩波書店。1935年。210-218ページ)

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庭園について

全能の神は初めに庭園を造った。これはまことに人間の楽しみのうち最も浄らかなものである。それは人間の魂にとって最大の慰めであって、これ無くんば建物も宮殿も粗雑な人工品に過ぎない。しかして時代が文明開化に向かうにつれ、人は宏壮な建物を築くのを先にして立派な庭園を作るのを後にするのが普通である。庭園の造築は一段上の完成であると見做しているもののようである。

 

私の考えでは、立派な庭園の施設としては、一年中のそれぞれの月のための庭園があり、そこで美しい草木が順々に時を得るようにすべきである。十二月、一月および十一月の末のためには次のごとき冬中緑を保つようなものを仕入れねばならぬ。すなわち柊、常春藤、月桂樹、杜松屬、イトスギ、 水松 イチイ 、松、樅、ローズマリー、ラヘンデル、白や紫や青のツルニチニチの類、それから温室があるならば、ニガクサ、菖蒲、オレンジ、レモン、マートル、それからあたたかに囲われたマヨラナである。これにつづいて一月の末と二月には、その頃に花が咲くオニシバリ、黄色および灰色の番紅花、桜草、アネモネ、早咲きのチューリップ、ヒヤシンス、アミガサ百合がある。三月には菫が咲く、ことに青の単色が一ばん早い。黄水仙、雛菊、巴旦杏の花、桃の花、 山茱萸 サンシュユ の花、ハマナスがある。四月には、八重の白菫、ニホイアラセイトウ、アラセイトウ、キバナノクリンソウ、 鳶尾 イチハツ 、各種の百合、ローズマリーの花、チューリップ、八重の芍薬、淡色の水仙、フランススイカズラ、桜の花、西洋李や李の花、サンザシの葉、 紫丁香花 ハシドイ がある。五月、六月には各種の石竹、ことに紅色の石竹、各種の薔薇(ただし麝香薔薇はもっと遅れる)、スイカズラ、莓、ウシノシタグサ、 樓斗菜 オダマキ 、フランス金盞花、フロス・アフリカーヌス、さくらんぼ、スグリ、無花果の実、ラズベリー、葡萄の花、ラヘンデルの花、白い花の咲く香りの高い蘭、ヘルバ・ムスカリア、リリウム・コンヴァリウム、林檎の花がある。七月には各種のアラセイトウ、麝香薔薇、シナノキの花、早熟の梨や李の実、早熟の林檎、料理用林檎があらわれる。八月には各種の李の実、梨、杏、ヘビノボラズの実、ハシバミ 、マスクメロン、色とりどりのホソバノトリカブトが出る。九月には葡萄、林檎、色とりぐりの罌粟、桃、メロコトン、 油桃 スパイモ 、山茱萸、料理用梨、マルメロが来る。十月と十一月の初めにはナナカマド、メドラー、ブレス、苅込みまたは移植した遅咲きの薔薇、タチアオイ、その他が来る。以上の細目はロンドンの気候を標準としたのである。しかしその土地々々で「 常春 トコハル 」が得られるという私の趣意はお解りのことと思う。

 

花の香りは、手の中にあるよりも大気中(そこでは楽の調べのように漂い来たり漂い去る)にある方がずっとかぐわしいものであるから、この楽しみのためには最も良く大気中で香るのは、どの花どの植物であるか、心得ておくのが最も肝腎である。薔薇は淡紅のも、赤いのも、その香りを内に包む花である。それ故、それが列をなしているところを通り過ぎても少しもその香りに気がつかぬことがある。朝露にぬれている時刻でさえ、そうである。月桂樹も同様、育つ際に香りを吐かぬ。ローズマリーも少ししか吐かぬし、マヨラナも同様である。他の花に立ち優って最もかぐわしい香りを大気中に吐くのは、菫ことに白い八重咲きの菫である。これは年に二回、すなわち四月の中頃とバーソロミュウ節頃に咲く。これに次いでは麝香薔薇である。それから枯れかかった莓の葉が大へんすぐれて爽やかな香りをもっている。それから葡萄の花、これはコヌカ草の粉のごとき少さい粉で、房の上に生じて咲き始める。次にハマナス、次にニホイアラセイトウ、これは奥の あるいは階下の部屋の窓下に置けば、非常に快感を与えるものである。それから石竹にアラセイトウ、ことに絡んだ石竹、丁字石竹、それからシナノキの花、それからスイカヅラ、ただしこれは少し隔ったところで嗅ぐべきである。蠶豆の花は野の花だから言及しない。しかし最も快く大気を薫らすが、他の花のごとくよけて通られずに、踏みにじられるものが三つある。すなわちワレモカウ、イブキジヤカウサウ、水薄荷である。さればこういう草を植えこんだこみち をいくつも作り、歩き回るときの楽しみにすべきである。

 

庭園の(前の建築についてと同様、真に王侯にふさわしいものについて私は述べているのである)内容は地積が三十エーカー以下ではどうもよろしくない。そしてそれは三個の部分に分けたるべきである。すなわち、入口に緑地を、出口には荒れ野を、中央に主要な庭を設け、なお、両側に通路を設ける。緑地には四エーカーの面積を当て、荒れ野には六エーカー、両側に各四エーカーづつ、主要庭園には十二エーカーを当てたい。緑地には二つの楽しみがある。一つは、立派に苅り込まれた芝生ほど眼に快感を与えるものはないということである。他の楽しみは、その中央に立派な通路ができるからそれによって、庭園を囲っている堂々たるまがき に進む事ができることである。しかしその通路はどうしても長いものになるから、一年のうち、または一日のうちの暑い時刻においては、日の照るところを芝生を通って庭園の日陰を求めるのは都合が悪い。それゆえ、芝生の両側には大工の手を借りて、その蔭をつたって庭園に達し得られるように、高さ十二フィートばかりの覆いのある通路を設けるがよい。いろいろの色彩の土を用いて土の壇または模様を築いて、庭のある方に面した建物の窓の下に置く事はつまらぬたわむれで、タートの上にもこれに劣らぬ飾りがいくらでも見られる。庭は四角が一ばんよろしく、四辺はすべて立派なアーチのある籬で囲むようにする。アーチはすべて大工の手になった列柱の上にあって高さ約十フィート、幅は六フィート、各々の間隔はアーチの幅と同じとする。このアーチの上に、同じく大工の手によってかまち を附せられた、高さ約四フィートの連続する籬を置く。そして上方の籬の上には、各アーチの上ごとに、鳥籠を容れるに充分な位の腹のある小塔を置く。また各アーチ間の空間の上には何か他の小さい物の形を置き、囲い、色の着いた、鍍金した硝子の幅ひろい板を添えて日光がこれに映発するようにする。なお、この籬は、約六フィートの、急峻でない、緩やかな傾斜の土堤の上に載せたいと思う。そして土堤には一面に草花をあしらう。なおこの方形の庭園は土地の横幅の全体にわたることなく、両端に、いろいろの脇通路を別に設けるだけの余地を残すものとする。緑地の、二つの、覆いのある通路がこの通路に連絡するのである。しかしこの大きな囲い庭の前後には、籬ある通路は設けてはいけない。前側に設けても、緑地から今述べた美しい籬を望む眺めを妨げるし、うし ろ側に設けても籬からアーチ越しに荒れ野を望む眺めを妨げるから。

 

大きな籬の内部の経営は、思い思いに各種の工夫を凝らすがよい。ただ言って置きたいことは、どんな形にそれを造るにしても、第一、あんまり手のこんだ、作り過ぎたものは良くない、ということである。私の好みからすれば、杜松その他の庭木を、何か物の形にはさみ込むのは感心しない。それは子供だましである。小さい、低い籬で、丸くへり をなしており、見事なピラミットをそなえているものは大変好ましい。そしてところによっては、大工の手になるかまち の上に載せられた美しい列柱もよろしい。私はまた通路がひろびろとした立派なものであることを望む。両側の地域では比較的狭い通路でもさしつかえないが、主要庭園ではよろしくない。それから丁度中央の位置に、立派な築山が欲しい。それには四人が並んで歩ける位の幅のある三個の登り口および通路があり、それらの通路は築山をぐるりと一周するもので、防壁や凸起は無い。山の高さは三十フィートである。それから暖炉を手際よくしつらえ、ガラスをあまり多く用いない立派な宴会所が欲しい。

 

泉水は非常にうるわしく、快いものである。しかし池は、すべての邪魔をし庭園を非衛生的にし蝿や蛙をたくさん生ずる。泉水には二種類あらしめる。一つは水をそそぎ、水をほとばしらすもので、他の一つは、およそ三四十フィート四方の水を受ける場所であるが、魚や泥ぬかるみは無いようにする。第一の泉水には、普通用いられている鍍金または大理石の、彫刻の飾りが結構である。ただ肝要なことは水が水盤にも水溜め中にも停滞せぬように、流通させることである。かくして、水が一か所にたまって緑や赤やその他の色に変色したり、苔っぽくなったり、腐ったりしないようにするのである。なおこの上に毎日手で掃除をする必要がある。次にそのところまで達するための踏み石を設け、そのまわりを舗装すればはなはだ結構である。第二の泉水は、水浴のプールと呼んでよいものであるが、これは大いに技巧と善美を凝らす余地のあるものである。しかしここではくどくど説くのは止めておこう。ただその一端を申せば、その底は綺麗に舗装し何かの彫刻をあしらう、側面も同様にし、なおその上に色どりのある硝子その他の光沢のある物質で飾りを施す。また周囲には低い彫像からなる立派な欄干をめぐらす。肝要なことは、第一の泉水のところで述べたことと同様、水が常住に流動するということで、プールより高い場所から立派な樋口で落ちてくる水を受けて湛え、それから水が停滞しないようにいくつかの同じ太さの管で地下からはけさせる。いろいろな技巧、例えば水がこぼれることなくアーチをなしてほとばしるようにしたり、さまざまな形(羽毛や、さかづきや、天蓋や、その他の)に噴き上がらせることは、見る眼には面白いが、健康や美には何の関わりもないことである。

 

われらの庭園の第三の部分をなす荒れ野について述べると、私はそれをできるだけ自然の野生味にのっとって作りたいと思う。その中には立ち樹は植えぬことにし、ハマナスとスイカヅラ、それからそれにまじって若干の野葡萄からなる繁みだけにする。地面には、菫、桜草を植える。これらはよい匂いをもっており日陰でも育つからである。これらは別に順序なく荒れ野のあちこちに散在させる。私はまたほんとうの荒れ野にあるような 土龍丘 もぐらおか に類する小さい高まりが欲しい。そのうち、あるものにはイブキジャコウソウ、あるものには石竹、あるものにはニガクサが えていて、見る眼に美しい花を提供する。またあるものにはツルニチニチ、あるものには菫、あるものにはキバナノクリンソウ、あるものには雛菊、あるものには紅薔薇、あるものにはリリウム・コンヴァリウム、あるものには紅いアメリカナデシコ、あるものにはヘルボールス、その他似たような、丈の低い花が生えていて、かぐわしく見る眼に美しい。これらの高まりの一部には頂きに、小さな藪をなして直立した灌木を植えこみ、他のものには、それを植えない。その灌木には薔薇、杜松、西洋ヒイラギ、ヘビノボラズ草(この花の香りは強すぎるからただ所々に植える)、赤スグリ、グスベリ、ローズマリー、月桂樹、ハマナス、その他がよろしい。ただしこれらの灌木は適当に苅込みを怠らず、やたらに生え繁らないようにする。

 

両側の地面について言えば、これにはいくつかの目立たぬ通路を設け、充分の日陰を提供するようにし、太陽がどこにあろうとも、ある部分は日陰になるようにする。またある通路は避難所になるように作り、風がひどい時にはそこを歩けば廊下を歩くに異ならぬようにする。これにも両端に籬を設け風が吹きこまぬようにする。これらの狭い通路には常に砂利を敷きつめるようにし、濡れる恐れがあるから草は生やさないことにする。通路の間にはまた各種の果樹を植えるがよい。土堤の上にも植えまた列をなしても植える。一般に注意すべきことは、果樹を植えつける区域はゆったりとひろびろし、低いところが良く、急峻であってはならぬ事である。ここにも美しい花を植えるが、その数は少なくまばらにする。さもないと樹木の栄養を奪うからである。両脇の地域の端には相当の高さの小山が欲しい。そして囲いかき は人の胸の高さになるようにし、小山から外の野原を眺めやるようにしたい。

 

主要庭園についてなお一言するが、私は、その両側に若干の立派な通路が並べられ、それに果樹、果樹の美しいかたまり、腰掛けのある 四阿 あずまや が、体裁よく按配されるのは結構だと思うが、ただこれらをあまり沢山詰め込んではいけない。主要庭園はせまっくるしくなく、空気が妨げなく自由に流通するようにしておきたい。すなわち、日陰を要するならば、両脇の地域の通路に赴けばよいのだから。そして一年または一日のうちの暑い時に、欲するままにそこを散歩すればよろしい。そして主要庭園は一年のうちの温和な季節のためのものであり、夏の暑い頃ならば、朝と夕方あるいは曇った日のためのものであると承知してもらいたい。

 

飼鳥場に到っては、非常に大きくて、芝生を作り根のある植物や繁みを中に植え得るもので、鳥が充分飛び周り、自然のままに巣くうことができ、その床に汚いものが目立たないようなものならば格別、さもなければ好ましくない。

 

以上私は、時には説明をもって時には描写をもって王侯の庭園の解説をした。それは一個のまとまったモデルではないが、モデルの梗概ではある。この際私は費用を惜しまなかった。偉大な王侯にとっては費用などは何でもないから。彼等は大概仕事師などの意見を聴いて、これに劣らぬ入費をかけて庭を造営し、時には人目を驚かすために彫像その他を加えたりするが、庭園の真の楽しみは没却することが多いのである。