LITERATURE

人類の星の時間

シュテファン・ツヴァイク

片山敏彦訳

Published in 1927|Archived in December 24th 2023

Image: Carleton Watkins, “Solar Eclipse from Mount Santa Lucia”, 1889.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

原文ママ。
底本の行頭の一字下げは一字上げに変えた。

BIBLIOGRAPHY

著者:シュテファン・ツヴァイク(1881 - 1942)訳者:片山敏彦
題名:人類の星の時間原題:序|初版の序文(おそらく一部。「訳者のあとがき」内)
初出:1927年
出典:『ツヴァイク全集8 人類の星の時間(第1回配本)』(みすず書房。1961年。1-3ページ、380ページ)

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どんな芸術家もその生活の一日の二十四時間じゅう絶えまなく芸術家であるのではない。彼の芸術創造において成就する本質的なもの、永続的なものは、霊感によるわずかな、稀な時間の中でのみ実現する。それと同様に、われわれがあらゆる時間についての最大の詩人と見なし叙述家として感嘆するところの歴史も、決して絶えまなき創造者であるのではない。「神の神秘に充ちている仕事場」ーー歴史をゲーテは畏敬をもってそう呼んだがーーの中でもまた、取るにたりないことや平凡なことは無数に多く生じている。芸術と生命との中で常にそうであるように歴史の中でもまた、崇高な、忘れがたい瞬間というものは稀である。多くのばあい歴史はただ記録者として無差別に、そして根気よく、数千年を通じてのあの巨大な鎖の中に、一つ一つ事実を編み込んでゆく。要するにどんな緊張のためにも準備の時がなければならず、どの出来事の具体化にも、そうなるまでの進展が必要だからである。一つの国民の中に常に無数の人間が存在してこそ、その中から一人の天才が現われ出るのであり、常に無数の坦々たる世界歴史の時間が流れ去るからこそ、やがていつかほんとうに歴史的な、人類の星の時間というべきひとときが現われ出るのである。
 
芸術の中に一つの天才精神が生きると、その精神は多くの時代を超えて生きつづける。世界歴史にもそのような時間が現われ出ると、その時間が数十年、数百年のための決定をする。そんなばあいには、避雷針の尖端に大気全体の電気が集中するように、多くの事象の、測り知れない充満が、きわめて短い瞬時の中に集積される。普通のばあいには相次いで、また並んでのんびりと経過することが、一切を確定し一切を決定するような一瞬時の中に凝縮されるが、こんな瞬間は、ただ一つの肯定、ただ一つの否定、早過ぎた一つのこと、遅すぎた一つのことを百代の未来に到るまで取返しのできないものにし、そして一個人の生活、一国民の生活を決定するばかりか全人類の運命の径路を決めさえもするのである。
 
時間を超えてつづく決定が、或る一定の日附の中に、或るひとときの中に、しばしばただ一分間の中に圧縮されるそんな劇的な緊密の時間、運命を孕むそんな時間は、個人の一生の中でも歴史の径路の中でも稀にしかない。こんな星の時間ーー私がそう名づけるのは、そんな時間は星のように光を放ってそして 不易 ふえき に、無常変転の闇の上に照るからであるがーーこんな星の時間のいくつかを、私はここに、たがいにきわめて相違している時代と様相との中から挙げてみることをこころみた。外的な、または内的な事件にふくまれている魂の真理をわたし自身の仮構で色づけたり誇張したりすることを、あらゆるばあいにわたしは避けた。なぜならそれ自身に十分な形づけとなっている崇高な諸瞬間の歴史は、後からこれを更に加工する人間の手を必要とはしないからである。歴史自身が詩人、劇作者としてのほんとうの支配力を持っているところでは、どんな詩人も歴史を凌駕しようとこころみてはならない。

FIRST EDITION’S PREFACE(EXCERPT)

歴史は自然の精神的な鏡として、自然そのものとおなじように、かぎりない、かぞえきれない多様の形を作り出す。歴史はどんな方法にもとらわれず、どんな法則をも平然と超えてはたらく。歴史は水のように一定の方向に向って流れるかと見えて、またたちまちに、風のゆるやかな偶然の中から雲を作るようにして事件を産む。歴史は、ゆっくりと成長する結晶作用の持つ大きな忍耐によって諸時代を積み重ねてゆくことがたびたびであるが、しかしまた押し迫る大気の諸層を劇的に、ただ一つの閃光へ圧縮することがある。歴史はいつでも形成者であるが、その形成者がほんとうの芸術家として見えてくるのは、そのような天才的凝縮をおこなう諸瞬間においてのみである。なぜなら、無数のエネルギーがわれわれの世界を動かしては居るものの、われわれの世界に劇的ないろいろの形を与えるのは、ただあんな稀な爆発的の諸瞬間だけだからである。私は歴史の百年間の範囲の中からそんな瞬間を五つだけ取り出して描いてみたが、それらの瞬間がふくんでいる魂の真理に、わたし自身の作為の色をくっつけようとは決してしなかった。なぜなら歴史自身が十分に形づけをしているばあいに歴史は余計な後押しの手を少しも必要とはせず、ただ畏敬をもって叙述することばだけを必要とする。