PHILOSOPHY

ニーチェ

桑木厳翼

 

Published in 1902|Archived in January 10th, 2024

Image: Caspar David Friedrich, “Wanderer above the Sea of Fog, 1818.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

旧字・旧仮名遣いは現代的な表記に改め、一部にルビを付し、用語統一を施し、〈 〉内にARCHIVE編集部による補足を入れた。
今日の社会通念上、必ずしも適当でない名詞があるが、歴史性を重んじて原文ママとした。
傍点による強調は太字に統一した。
見出しの五文字下げは五文字上げに変えた。

BIBLIOGRAPHY

著者:桑木厳翼(1874 - 1946)
題名:ニーチェ原題:ニーチェ氏倫理說一斑(抄)
初出:1902年(育成会)
出典:『明治文学全集 80 明治哲学思想集』(筑摩書房。1974年。203-209ページ)

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甲、一般の観察

ニーチェは哲学者であろうか、それともそれ以外のものであろうか、もしまた、哲学者あるいはそれ以外のあるものであるとしたならば、いかなる価値をもっておるか、これらを考えて見なければならない。
 
A まず哲学者とみなそうとするならば、彼もまた、哲学者の普通に備うべき性質を有していらねばならぬ。これで、真の大なる哲学者といわるるためには、すくなくとも次の三つのものを備えておらねばならぬと思う。
 
一、創作的であること、すなわち原思 刱造 そうぞう の才を備えること、
二、古来の学説を継紹してること、
三、組織的能力のあること、
 
この三者が具備しておらなければならぬ。ぜひとも備わっていなければならない。哲学者は、これまであった思想に、新を加えるか、あるいはその欠を補うか、いずれか、新規なる見解を加えることが必要である。しかし、その新見解にも種々な種類がある、ただ新なるのみをいうのではない。またもし、ごく 些細なる新であるならば加えても大した価値をもっているものでない。ただ、いたずらに新に走るのみならば、次の第二のものと衝突する、すなわち古来の学説を継紹するということにおいて欠くるところあるようになる。これは往々、人の誤解する弊であるが、一つの哲学説が出るというのは、それは決して突然生ずるものではない。昔からの歴史的の関係があって、甲の説がよくない、不足であるというところから、乙の説が起こってそれを補い、また、乙の説でまだ十分に調和してみないというので、丙説が出てこれをまとめる。かようなことがなかったら、長い時間の間継いできた人の仕事は、まったく無意味に終わるであろう。であるから、古来大哲学者は、一方には原始的創作的であるが、また、一方には、継紹的である。プラトンの哲学は、たしかにギリシャの社会において新見解を有した説に違いないが、一方から見ればギリシャ文明の歴史的相続人である。カント哲学は近代の思想界に異彩を放つものである。それで、彼は、哲学史家として学殖のあった人ではないかも知れないが、とにかく、あの説は、皆ギリシャ以来連続してる学説を総合したものであったのである。ましてアリストテレスやヘーゲルなどの、自らも歴史的と許して、古説を継紹するものについては、もとよりくわしくいうをまたぬ、ひとり大家の説のみならず、いかなる説でも、一方に新であると共に、一方には旧を継紹しておるもので、すなわち温故知新というようなわけで、かならず、両方面を見出すことができる。すなわち第一第二は哲学者としてはかならず備えなければならぬ要件である。
 
しかるにまた、哲学というものは本来すべての学間中、最も、抽象的で、普遍的で、秩序的で、それらの点からすべての学の模型となるとしたならば、ただ古い説をよく呑み込み、また、自分の考えを付け加えるばかりでなく、その間に十分なる組織を備えていなければならぬと思う。すなわち哲学者は、かかる組織をつくるだけの能力を欠いてはならぬ。
 
以上の三件が備わって、はじめて、学としての哲学を述べる哲学者ということができるものである。哲学者という意味のなかには、他の種々の義をも含むものであるが、それは他にゆずり、ここではただ、真正の哲学を説くところの人として解釈して、まず、以上の三条件を要求したのである。
 
さて、ニーチェは、この意味における哲学者に適してるか否やと考えてみると、この点においてはおおいに遠ざかっておるといわなければならない。もちろんいわゆる哲学者などといわれることは、ニーチェの好んでおらぬところであったろうが、世間では多少誤解している人もあるから、すこしく弁じておかねばならぬ。
 
第一にニーチェの考えは決して創作的でない。すなわちその人生観はその学生時代に研究したショーペンハウエルの意志形而上学とダーウィンの進化説との合併したものにすぎないので、ニーチェが学説として加えたところは、すこしも見出すことができない。それで、幾分かの新しいところがあるとしたならば、それは両説を合わせてできるだけの極端なところに導いていったことであるかもしれぬ。しかし、充分な理由もなく、ただ、極端に述べておるだけならば、それはだれにでもできるので、ことさらニーチェの新見解と称するだけの価値はないのである。ましてさような極端説で、ともかくも調和を試みている温和説を破ることは、無法といわねばならぬ。すなわち、第一の要件においては明らかに欠けてるところがある。
 
第二にニーチェは古来の学説を継紹しておるかというに、この点も、すこぶる疑わしい。もちろんニーチェの全体の著述についてはいわれぬが、自分が知ってるだけのところでみると、ニーチェは決して古人を正常に理解していない(あるいは故意かも知れないが)。例えば、ニーチェは、つねにカントを攻撃してるが、しかし、どのくらいカントを理解しておるか、おおいに疑わしい。カントは一方においては、欲望を制し、情を制したことはあるが、人格を重んぜることについては、倫理学史上没すべからざる功績がある。ニーチェの個人主義もカントの人格論とおおいに一致しておるところがすくなくないが、ニーチェはすこしも注意しておらぬ。これからみても、古来の学説、とくに著明なる学説に対して、正常なる相続人がなすべき注意を払わなかったのは明らかである。たとえ彼の考えにおいて新しいところがあったとしても、その新しいところはちょうど太陽系における彗星のごときもので、他とはすこしも連絡のないものであるので、哲学史上、位地幷に価値を充分に与うることはむずかしい。
 
第三にニーチェの説は、組織において欠けておる。すなわち、ニーチェの始めから終わりまでの説はすくなくとも三段の著明なる変化を認めることができる。それからまた、その三段の思想は、矛盾に満ちておって、始めは情を貴び、終わりには情を貶して意を貴び、始めには非常にワグナーなどと親しくし極力美術家を賞賛しておったが、終わりには猛悪なる君主を貴ぶにいたった。もちろん、哲学者として一生涯のなかにその説が段々と変化してきたものもすくなくはないが、また、あるいは、多少矛盾のある人もすくなくはないが、なんらかの連絡はあるし、また、そのある時代だけの思想においては、まず、矛盾がない。しかし、ニーチェの思想は矛盾がむしろ生命で、とうてい整然たる系統とはみなされない。また、全体が組織をなしておるものでないことは、いうまでもないことである。これらの点から見れば、ニーチェは、哲学者として第一流のものでないということは明らかである。
 
B 次に預言者としたらばいかがであろうか。
預言者には、第一に深き洞察力を要する。すなわち世間の状態を観察して、単にその皮相を了解するのみでなく、あるいは単に自己の感情に委任しておるのみでなく、進んで世の人々の真の心の奥底を察知し、社会の成り行きの状を解するものでなければならぬ。もしそうでないならば、世の凡俗の潮流に従うばかりで、世を導く地位にはなれないであろう。第二に預言者は深き洞察を養うためには、自分が広き経験を積むことが必要である。もちろん人力には限りがあるから、いかなる偉人でも、ことごとく人世の経験を味わいつくすことはできないとしても、とにかく種々の方法で、これを補って、偏頗(ルビ:へんぱ)に陥ることを避けなければならぬ。もしそうでなければ、ある一部分同臭味のものに、承認されるのみで、決して社会一般を動かすに足らないことは明らかである。第三に預言者の説は、人の言い古したことであっては、大なる価値を有せないだろうと思われる。預言者は一世の木鐸である、指導者である。それであるから、その説が、いかにたくみに言表されてあっても、それに類した説が、たくさん唱えられてるならば、大預言者として立つということは、よほどむずかしいのである。いま、これらの点からみると、ニーチェの洞察力に富んでおったのは事実である。すなわちその談片などに、種々の警語警句を有しておって、また、人々の、心に思うのみで口には言いえない真理を、喝破したことがすくなくない。『ツァラトゥストラ』のなかにもたくさんある。しかしながら、しばらくひいきめを離れてみると、これに深刻という名を与えねばならぬかということはすこぶる疑わしい。それは深刻な点もたくさんあるはあるが、それが果たして類のないものであるといわるるか、どうであろうか。日本の近古文学はあまり豊富なるのでもないが、そのなかにも、言葉こそ賤しいけれども、その鋭利という点では、ニーチェに劣らぬ人を見出しうるのである。現今の日本の文学者のある者にも、種類がすくなく、範囲も狭く、又、いう言葉は賤しいけれども、ずいぶんニーチェの塁を摩する〈=匹敵する〉ほどの皮肉家警語家を見出しうるものである。で、ニーチェをして深いという名を芯にせしむることは、よほど、まだ、むずかしいことではあるまいかと思う。もちろん、これはニーチェが深くないという意味でいうのではない。その深いということ、例えば、人生悪の方面をよく摘発したとかの点はあるが、それとても、非常に深いとか、あるいは至極珍しいとかいうほどのことではない。ニーチェ以前の詩人の書物と比べて、著しく違ってるというところを発見することはできない。
 
また、経験についていえば、ニーチェは、どのくらいの閲歴のある人であるかというに、我々の知り得る限りにおいては、彼は著しき変わった経験をしておらぬといわなければならない。主として学校生活をして、それでまた、学者として世に立ったので、まったく一個の学究にすぎない。自分が小児の折から婦女子のみの家に成長し、多少わがままの気質を養い、その学芸のためにそのわがままがある度まで通り、多少異なった研究を積んで、詩歌文学などによって感得した事柄などを総合して、人生の経験を自ら推論で作ったのであろうと思う。まだこれだけの経験ではゲーテのごとき大詩人に比べてみて、おおいにその貧弱なるを称すべきではあるまいか。で、たしかにおおいなる経験家とはいわれないだろうと思う。したがってその預言的訓誠が経験を積んだところの老功な人を動かすに、足りるかどうかは疑問である。
 
また、ニーチェの考え(学説)は個人を重んじてドイツの国家主義の盛んなるに反対したものであるというが、元来個人を重んずる思想は、十八世紀頃に盛んに唱道せられたことで、ニーチェの時代においても、マックス・シュティルナーという仮名で、極端なる個人主義を唱えた先輩もあったのである。すなわちその点において、ニーチェの預言が世をさとす福音であったかどうかは疑わしいのである。ニーチェがその文弁の巧妙なる点を離れて、それ以上に社会の大先達であったかということは、すこぶる疑問である。要するに預言者という点においては、ニーチェは果たして特異の光彩を放っておるであろうか。
 
C また、次に詩人として考えたらどうであろうか。まずニーチェの詩歌文章の形式を考えてみると、あるいは音楽的であると賞められるような妙文奇想に富んでるのみならず、形式上においても、近代文学における一偉観であるということはあるいはできる。しかしながら、ニーチェの詩というものは、ゲーテになど比べるとごく 種類がすくないように考えられる。すなわち種々の体の詩歌は、ニーチェには、あまりないように思われる。ニーチェの文は、短文で、力強くて、自身が理想とした通り、音楽的音調で人を悦ばしめる。しかし、長い緻密な思想を言い表わすには不適当である。すなわちニーチェの詩文の形式は、たしかに美ではあるが、それが唯一の美でないということが、いま自分の明らかにしたいと思うところである。そこで、その内容はといえば、これは前に言った通りで、詩人は一方からいえば、預言者であるから、詩の内容は、その預言としての価値をみたら、察知することができるであろう。もちろん、詩の直接目的は美であるから、その内容の預言と否とに重きはおけないが、ニーチェの詩のごときは、美よりもむしろ一種の説を述べることに重きを置いてみるべき詩の種類であろうと思う。すなわち要するに詩人としては、一種の詩人であるが、しかし円満な真の詩人ということは、無論、まだできないであろう。
 
かくのごとく、哲学者、預言者、詩人と別々に観察してきたが、その各領分において、ニーチェは第一流と称するだけの価値がないように思われる。しかし自分はその価値を認めないのではない。彼は三者のいずれでもないが、また、一方からいえば、またいずれでもあるのである。この、三者たくみに併有せる点が、ニーチェが人の注意を惹き、おおいにもてはやされた主なる点であろうと思う。その点において、もちろん、彼は文明史上自分の尽くすべき任務を果たしておったし、また、現代文明の一勢力となるところの資格は、十分に備えておったのである。すなわち彼はともかくも一種の説を唱え、それをもって多少社会の人々を警戒し、しかもそれに美しき形姿を与えて、世の人を動かしてる。すでに種々の束縛を省みないから、矛盾があるが、また、奇抜の妙がある。また、人の考えてはおるが言表しえないところの洞察を述べてるところもあるし、また、普通詩人などのおよぶことのできない一種の詩歌を詠ずることができたのである。もちろんそれゆえに、種々の点から色々の部分において、第一流でないといったが、それが真にニーチェの価値あるところである、ということを示しえたと思う。要するに彼はただ文明史上の一勢力として、価値をもっておる人なのである。

乙、倫理説を許す

ニーチェの述べた思想については、種々の面白いことがたくさんあるが、またその説があまり極端なので、誰も正当と信ずるものもあるまいと思うから、ただいまはその倫理説が、決して真底から倫理学者と反対していらぬことについてのみ、述べよう。
 
第一 ニーチェは倫理説は、実に奇抜である。それで、古代の倫理説に対して大反逆を試みたといわれてるが、よく見れば決してさようなものではない。彼の唱えてるところのものも、やはり一種の道徳説で、多くの学者と根本的に一致した点が非常に多い。すくなくともその研究論述の方法が、決して人々と異なってはおらぬ。彼はまず、古代の伝説によって善悪の価値を定めることを攻撃し、自分自ら善悪の価値を造り出そうとしたのである。一言にしていえば、彼は伝説的でなかった。彼が善悪の論はともかく、この伝説的でないという点は、いまの倫理学者の皆いうところ、するところである。いまの倫理学者の多くがいうには、倫理道徳は人性に固有に備っておる、しかし、これが、最初には反省を経ないで、ただ伝説習慣なぞに従うばかりである、しかし、人々の思想が段々に進歩してきて事実の解釈に疑いをいれるようになると、伝説の無限的勢力は衰えて、反省的学説が起こるので、倫理道徳は決して伝説習慣によるのみではならぬといっておる。そうであるならば、いまの学者もニーチェと同じく、反逆者とみなさるべきである。ニーチェの意見では、伝説的道徳を超脱したものが、すなわちその超道徳者であるのである。ニーチェは非常にカントを攻撃し、またあらゆる倫理家宗教家を排斥しておる。しかし、これは、前にもたびたびいった通り、すこぶるその意を得ないことなのである。カントの道徳宗敬の論は、どのくらい、当時の 舊弊 きゅうへい 家に、嫌われてあったろうか。
 
第二 ニーチェの説は、情欲を禁じないで、むしろそれが、人生において欠くべからざるものであると唱えておる。これがすなわちその本能を重んずる説として、その派の人の随喜するところであろうが、しかし、これとても、現今の倫理学者、すくなくともニーチェと同時代の学者の、皆一致するところである。古来からの倫理説のなかで、ストア派や、カントの説などは、極端なる禁欲主義であったかもしれぬが、それは決して唯一の倫理説というのではない。であるから、その反対に、快楽主義のものもはなはだ多い。純粋な快楽主義本能主義は、とうてい人生に存せざるものであるが、さりとて快楽主義が倫理説でないということは、とても証明のできることでもなく、また、我々の聞かざるところである。ニーチェは厳粛主義を排して本能快楽を貴ぶところから、快楽主義と道徳説と違うと考えたらしいが、これは道徳説に対する彼の誤解である。ショーペンハウエルの哲学をみ、それからまたカントのをもすこしはみたものであるとみえて、倫理といえば、すべて情を制抑するものであると断定してしまった。これがすなわちその説の誤りを生ずる起源であったのであろうと思う。
 
第三 ニーチェは、欲を禁じないで、進んで自我を肯定することをもって、人間のなすべきこと、すなわち主義(ニーチェはこういうのを嫌ったかもしれぬが)としたのである。この点からみて、ある意味では、現代に対する補助的の思想である、ということができる。ドルソンはニーチェのこの思想は、「現今の倫理説の欠典を補うもの」であると評してる。現今の倫理学者は、欲を禁じないかも知れぬが、社会を重んずるがために、個人の価値をまったく認めないものがないでもない。したがってある意味における自我否定論者になっておるものも、すくなくないと思う。社会国家というおおいなる自我のために、個人の小さき自我における人格を認めない人もあるかもしれぬ。しかし、これは、すべての倫理学者の、かならずしも取るところの説ではない。最も進歩した学者のなかには、個人主義もなく、国体主義もなく、社会を通して個人が自己の愛を成就し、また、社会も個人の発達によって進歩するという、個人と社会との円融をもって主義としておるほうがむしろ多いのである。グリーンなどの説においては、自己実現をもって一方の主義として、同時に、社会の共同の善、すなわち洽善を進めるものであるとしてある。すなわちこれは自我肯定で、決して自我を否定したのではない。であるから、かのグリーンの説でも、カント、フィヒテ等の説をみても、あるいは人格の重んずべきを説き、あるいは自我の絶対的価値を説いて、皆、自我肯定でないものはない。それゆえ、ニーチェの説が、一世の倫理学者や、哲学者のまったくいわなかったものだとは、とうていいうことはできない。むしろ、世の倫理学者や、哲学者は、いかなる方法を取ったならば、真の自我を肯定することができるかということを考えて、おのおのその企図を述べておるので、自我肯定は、すでに哲学上自明の理であつて、ニーチェによってはじめていわれたのではない。全体問題となるべきほどの事柄ではないのである。要するにニーチェの説は、彼、あるいは彼の崇拝者の思うがごとく、道徳思想に反対したものではないのである。
 
第四 ニーチェは進歩を重んじて超人をもって理想としておった。この進歩を重んずることも、すべて倫理学者の一致するところで、その理想を説くことも同じである。ただしその内容は、人によって違うであろうし、一致しないかもしれぬ。ニーチェのいわゆる超人は、よほど奇抜なところがあるが、多少これに類似せる説があることと考えられる。ただし理想を説くことは、各人随意の点であるが、それを立つるについて一つの注意すべきことがあると思う。理想はもちろん、現実の状態ではない。想像的のことで、非実際的のことである。しかし、理想と空想とは違ってる。理想はいま現実にはないが、いつかはそれが実行せられ得べきものであるという可能性を備えておらなければならぬと思う。人の空想では、できるだけの幸福な状態を描くこともあろうが、理想は人のなしえる程度にとどめなければならぬ。もちろん種々の障害があって人のなしうることでも、十分実施することはできない、すなわち理想はとうてい実現されないこともあろうが、ともかくその方に達する望みがなければならぬ。一言でいえば、実行はされずとも、実行の可能性を備えていなければ、理想ということはできない。したがって、それがためには、理想は現在の状態と連絡したものでなければならぬ。現在の状態を転倒するは、真の理想に達する途ではあるまい。ニーチェのいう超人などは、現在の状態を転倒しようというのであって、これはとうてい空想であるにすぎまいと思われる、全体誰が超人や天才になるのであるか、ゲーテが言った通り「汝はいかなる点で常人と異なりなどと言うか」。自分で天才であるなどと自覚したら、この欠典の多い人間でありながら、自分免許で天才や超人となったなら、気の毒なことには彼はもはや 癲狂院 てんきょういん の一客とならねばならぬ。かような実際ない超人も一種の詩としては興味があるが、人生の理想としては、割合に価値のないものであると思う。また、人生の理想を説く倫理学者や、哲学者が、着実なる経路を取っておることを、自己の空想主義によって非難することは、誤ってるではあるまいか。
 
かくのごとく考えてみれば、ニーチェには多少の空想、極端な言表もあるが、よく解釈してみれば、いまの学者と異なったところはなく、あえて奇とするには足らぬものである。ただしかしながら、以上の説は皆倫理の一方面からみてそういうのであるが、倫理学者としては、まだこれだけでは足らない。昔の伝説に盲従しないということは、善いことではあるが、それを無視するというのは誤りである。善悪の別をまったく自分で定めようとは、何の権利で言いえるのであるか。また、欲を禁じないことは、無論必要であるが、また、欲を抑える場合の必要もある。人々皆本能的生活などをやられては、文明も何もあったものではない。また、自我の肯定も必要であるが、自我の服従すべき点も考えてみなければならぬ。現今の時代で、まったく社会を離れて個人が生存することができようか。理想を説くはよいが現実を忘れてはならぬ。人生の論では、人生を材料とすることを忘れてはならぬ。かように、反対の方面を見残すことはできない。ニーチェの説は誤ってはいらぬ、しかしただ一方面に限ってるものであることを忘れてはなるまい。

丙、ニーチェの批評とニーチェ自身

ニーチェのしておる非難は、正当なこともあるが、不正当なこともすくなくない。それで、よくよくみると、それが、皆、彼自身の所業に立ち返ってくるのである。彼は自分自身を非難しておった。これをもっても、彼の非難していることが、かならずしも悪しきことではなく、すくなくとも人のまぬかるべからざることであるのがわかるであろう。ニーチェの非難したことのなかで、とくに著しい三つのものを、挙げてみよう。
 
第一 彼は専門的文明を非難しておる。専門的文明という意味は、今日のように世が段々文明になるにしたがって、分科分業が盛んに行われ、各人のつかさどるところの業が、各異なって、各自己の領分において、その事業を勤めるようになる。そこで『ツァラトゥストラ』のなかで非難したような、耳ばかりの人や、大きな目ばかりの人などが多くなる。これをニーチェは非難しておる。しかしながら、ニーチェは一方にては超人を説いておるし、また、人に偉大なる人物となることを勧めておる。ところで、この複雑なる社会において、他を圧するほどの非常な勢力を備えるということは、実に容易ではない、で、やむをえず、ある一部分に、その活動の部面を限って、その部分だけの超人となろうとするようになってしまうのは、むしろ当然であろう。医者なぞにしても、昔のように大医となるようなことは、至極むずかしいから、皆専門で第一流のものとなろうとする。これは今の世の常事である。もちろんこれには弊が多いがニーチェの超人からみれば、その超人を実行する最も手短かな方法は、これよりほかあるまい。むしろ、専門に走るのは、最もニーチェの説に適ったものではなかろうか。それでニーチェも実は一つの専門家であったのだ。
 
第二 彼は克己を悪くいう。しかし道徳で克己的所業をするのは、これはやむをえないことである。ニーチェ自身も実は克己禁欲であったので、しばしば「大なる人物は非常なる苦を受ける」というておるではないか。
 
第三 彼は研究的学問を非難してる。いまの学者はただ問うのみで。古来の学説を段々に吟味するのみで。ついにたしかな説を吐くことはできないといっておる。しかし、研究を離れては学問はできるものでない。本来学問は独断的の事に反対して起こったものであるから、絶えず疑い、絶えず進んでゆくものである。しかるに、その疑いが多いというので、学問を非難するというのは、間違がっておる。したがってその学問に、考証やら 穿鑿 せんさく やらが、欠くべからざることは、論を たぬ。ニーチェが得意であった「フィロロギー」(文献学)は、やはり研究的学問の一標本で、彼はついに捨てることができなかった。これも明らかに自分で自身を罵っておるのである。彼の善悪論も「フィロロギー」に重きを置き、語源なぞによって自説をたしかめておる。すなわち研究的学間をその基礎としたのではないか。彼の非難せるところの点は、実に彼が知らず知らずなせるところのことであるが、彼がこれを備えておったのは、彼の罪ではなかったので、備えておらなければならなかったからである。で、彼の非難したことは、実に彼自らその身を知らなかった罪に帰する。
 
全体を総括していえば、我々はニーチェによって、学ぶことがないとはいえぬ。その進歩を貴ぶ精神、忌憚なく自己の説を唱道した態度、奇抜な文章など、実に人々の意を動かすに足るものである。我々は彼をもって、まったく邪道であるとみなすことはできないが、彼のいっておることは、もとより、あまり珍しいことでもなく、倫理学者哲学者にとって貴いというほどのことでもない。それが極端に言い表してて、多少面白いところがあるからとて、その誤謬弊害がありあり知れきっているのに、これを 鼓吹 こすい するというのは、許すべきであらうか。そのうえ、これを新説を出したのだとして、他の哲学や倫理に対して、不正当な解釈を下すものがあるならば、我々は極力、その暴を責めなければならんです。
 
自分はとくに一言つけ加えておきたい。日本でニーチェ主義を主張せらる文学者は、これによってしきりに哲学科学の研究に従事し、倫理教育の問題に苦心する人々を嘲罵していられるようである。しかし今日我が国で最も排すべきは、頑迷固陋の伝説保存主義や、短気で粗暴な達観主義である。彼らは実にニーチェのいわゆる Geist der schwere であろう。彼らは口を開けば、古道といい、実益という、学問も芸術も、国家の利益という標準で、いちいち吟味するのである。もちろん国家の実益は大切であるが、彼らのいう国家や実益は、皆目先の国家や実益である、彼らのいう古道は精神なき形骸を指しているのである。哲学科学の研究者たる学究、倫理教育の鼓吹者たる道学先生は、実にこの妄見を排するをもって、その天職としているのである。すなわちその尊ぶところは、「自由精神」である、一種の「価値転倒」である、そのところいわゆる国家主義者、いわゆる古道家より迫害を受けることが一方ならぬをみてこれを証することができる。あえて告ぐ、世の文学者よ、ニーチェ主義者よ。なぜにその一味徒党を嘲る暇をもって、ともに人文発達の阻害を除くことに力を尽くさぬのであるか。我々はニーチェの煩悶に同感するが、その徹底したような断定に一致することができぬ。我々は煩悶に煩悶を重ね、その間に漸次に理想を実現しようとするのである。悪く徹底した保守家、無理想家は、諸君と我々との、ともに敵とすべきところではないか。