ゲルニカ
ゲルニカ。それはビスケイの小さな町、バスク地方の伝統的な首都である。そこにバスクの自由と伝統の神聖な象徴であるかしの木が天空にのびていた。ゲルニカはただ歴史的なそして感傷的な重要さのみをもっていた。
一九三七年四月二六日、市日、ひるさがり、フランコをたすけるドイツの飛行機はゲルニカを三時間半にわたって、数編隊による反復爆撃をおこなった。
町は完全に燃え、はいとなった。すべて市民である二千人が殺された。この爆撃はさくれつ弾と焼夷弾とをあわせもちいて、その効果を都市の住民にこころみるものであった。
火にたえる顔、寒さにたえる顔よ
残り物にも夜にも、侮蔑にも痛手にもたえしのぶ顔よ、
すべてにたえる顔と、
ごらん、ここにきみたちをとらえる空虚があるよ。
いけにえのかなしい顔よ、
きみたちの死は範をたれるのだ。
ああ、死にくつがえされた心。
かれらは君らの生命で
パンをあがなわせた、
かれらはきみたちの生命で
大空を大地を、水を眠りを、
そして暗黒の悲惨をあがなわせた。
おとなしい役者たち、ものさびしく、ものやさしい役者たち、
とだえざる悲劇の役者たちよ、
君たちは死をおもわなかった、
生と死の恐怖と勇気と、
かくもむずかしく、かくも容易な死を。
ゲルニカの住民たちは、まずしいひとびとである。かれらはずっと久しい以前から、かれらの町に生活をいとなんできた。かれらの生活はひとしずくの富と、怒濤の貧困でかたちずくられている。かれらはこどもたちを愛している。かれらの生活はほんの小さな幸福と、あまりにも大きな心労ーー翌日の気ずかいとでおりなされている。あす、食をえずばならず、あす、生活をいとなまなければならない。きょう、ひとは希望を胸に、きょう、ひとは労働にいそしむ。
ひとはコーヒーをすすりながら、すべてを新聞で読みとった。ーーヨーロッパのどこかで人殺しの一隊が、群衆をおし砕いたと。ひとは腹をさかれたこどもを、斬首された女を、ただ一撃でからだじゅうの血をほとばしらす男を、からくも思いうかべる。それはスペインを遠くへだてたところ、それはわれらの国境である。コーヒーを飲みほしたひとは、しごとへでかけねばならない。ひとはよそで、何かがすぎてゆくとゆうことを想像する余暇をももたないのだ。ひとはおのれのかずかずの悔恨をおさえしのばせる。
あすは苦痛と恐怖とそして死に、まみえる時であろう。
しかし、罪業をさえぎるには時はすでにおそいであろう。
機銃の銃弾は死にかかっているひとびとの息をとめ、
風よりもたくみに、
機銃の銃弾はこどもらとたわむれる。
銃火によって
男は炭坑のように、
船かげのない港のように、
火の消えた炉のように、穴がうがたれた。
女たちとこどもたちは澄んだひとみに、
春の緑の葉と、清らかな乳と、
そして永続の
あのおなじ宝をひめている。
女たちとこどもたちは ひとみのなかに、
おなじ宝をひめている。
男たちは 力のかぎり、その宝をまもる。
女たちとこどもたちは
同じ真紅のばらをひとみにひめて
おのおのは、おのおのの血をみせる。
思いみよ、われらのいかばかり多くが、あらしに恐れをいだいたことか! きょう、あらしとは生活であったことはあきらかである。思いみよ、われらのいかばかり多くが、雷光と雷鳴を恐れたことか! なんとわれわれはそぼくであったことか、雷鳴は天使であり、いなずまはそのつばさなのだ。そしてわれわれは、燃えさかる自然の戦りつをみまいとして、地下室にだんじておりはしなかった。きょう、われわれのものであるわれわれの世界の終末はおとずれ、各人はその血をしめすのだ。
ああ、
こどもたちは放心した様子をし、
悲惨のふちにわれらは
おいやられようとしている。
思いみよ、かつてながれた歓喜の涙を、
愛する妻に両腕をひらいた男を、
笑いのうちにすすり泣いたおさな子を。
死者たちの目は恐怖の厚みをもち、
死者たちの目は不毛の地の薄みをもつ。
犠牲者たちはあふれおちる涙を、
毒じるのようにのみほした。
鉄帽をかぶり、長ぐつをはき、 眉目 ひいでた誤りない男たち、飛行士たちは爆弾を投下する。ねらいをさだめて、地に接する、それは壊滅なのだ。善に没頭する最大の哲学者は、一つの体系をみちびきだすまえに、そこを二度凝視する。けだし、現在とともに散乱するのは過去と未来であり、噴火口に砕けちり、焼きつくされる一つの連続なのだからだ。ひとがろうそくのように息をふきかけるのは、まさに生活の思い出なのだ。
血にひたった男たちのうえに、血にあえぐけもののうえに、
血に手をよごさぬたくみな人殺したちよりも
臭気をはなついまわしいぶどうの刈いれがある。
すべての目はくりぬかれ、すべての心はかき消された、
死人のように大地は冷たい。
いざ、死をかぎとるけだものをとらえよ。いざ、母親に愛するこどもの死を解きあかせよ。いざ、ほのおのなかに確信をふきこめよ。この世のおとなたちが敵のためにこどもをそだてるとゆうこと、そして敵はゆりかごにむかい、あたかも、戦争の道具にむかってかのように、攻撃するとゆうことを、いかに理解せしめるのか。ただ一つの夜があるばかりだ、それは悲惨の姉であり、憎悪すべき狂わんばかりの死の娘、あの戦争の暗夜なのだ。
男たちのため この宝はうたわれた。
男たちのため この宝はついやされた。
きみらの母の、兄弟らの、こどもらの断末魔の苦悩を思え、思え、生命を断ちきったあの争闘を、思え、きみらの愛の死の苦もんを。虐殺者たちから身をまもれよ。こどもと老人はみずから喪にふした生命の底しれぬ恐怖におそわれたと感ずる。結末をつけるため、一瞬かれらは生を欲するおろかさを感じとる。すべてはぬかるみにうつり、太陽は黒くかげる。
たちならぶ悲嘆の碑。
廃屋の火坑と
そして野の美しい世界。
ああ、わたしの兄弟よ、いま ここにきみらは腐肉にかえられた、
きみらは砕かれたがい骨となった。
大地はきみらの眼孔にめぐり、
君らは朽ちはてたさばくとなった。
死は そして時の均こうを破りさった。
いまや、きみらはうじとからすの餌となった。
だがかって、きみらはよろこびふるえるわれらの希望であった。
ゲルニカのかしの死木のもとに、ゲルニカの廃墟のうえに、ゲルニカの大空のもとに、ひとりの男が帰った。かれは腕になくこやぎをいだき、胸に一羽のはとをだきしめている。かれは万人のために汚れのない反抗の歌をうたう、その歌は愛にありがとうといい、抑圧にいなとこたえる歌だ。すべてのそぼくな約束は、もっとも崇高なのだ。ゲルニカはオラドゥールとともに、ヒロシマとともに、生ける平和の都であると、かれはうたう。これらの町々の空虚は荒れくるうテロよりも強い抗議の声をひびかせている。
ひとりの男はうたい、ひとりの男は希望する。かれのかぎりない苦しみをおったくまんばちのむれが青空に遠のいてゆく。かれの歌ごえをひびかせるみつばちのむれは、そのときにも人間の心に蜜をそそぐのだ。
ゲルニカよ! 潔白は罪業にうちかつであろう。
ゲルニカよ!……