思い起こしてみようか、まだインターネットがなかった時代を。実際に紙にペンを走らせて、切手を買って、封筒を舐めて封をして、郵便局まで歩いて、きみのように孤立してる世界じゅうの同志たちに、自分の考えやら絵やらマニフェストなんかを送らなきゃいけなかった時代を。何週間も、時には何ヶ月も、自分の執着心を満たしてくれる何かが返ってくるのを待ち焦がれていたときのことを。 同人誌 の世界がどれだけこじらせたものだったか、この歴史遺産の多くに染み付いてる悲痛で必死で切望に満ち溢れた性質は、誰の目にも明らかだ。DIYはただの精神論なんかじゃなかった。そうするほかなかったんだ。自分の同人誌やらバンドやらレコードレーベルのために日中仕事に勤しんで、制作のためなら利用できるものーーキンコーズ、本屋、郵便ーーはなんでも活用した。きみはパンクだったにちがいない。〔社会の〕矛盾とか美学的テロリズムとか革命についてめちゃくちゃ頑固な意見を持っていたんだから。自分のやっていることを心から信じていた。政治意識があるなんてのも 当たり前 だった。
物事の変化は実に早い。ぼくが仲間と同人誌やスーパー8mmフィルムの映画を作りはじめた80年代は、 大企業 による異論の抑圧も、いまのような過酷な現実になる前で、まだSFのように思えていた。ぼくらは、大企業のメディア・コントロールの外側で動き、アンダーグラウンドに身を潜めることで糾弾から逃れていた。なにより大事だったのは、新たなSNS体制ーーMySpaceやYoutube等々ーーが後押ししているある種の自己検閲から逃げることだった。抵抗の声をあげる先が、支配的イデオロギーであれ、ゲイのエスタブであれ、「 ハンパ者 」とか「 カマホモ 」とか「 疫病持ちのゲイ野郎 」とかいってぼくらを排除しにかかるありとあらゆる支配階級であれ、とにかくあの活動には 戦闘的 で政治的な緊急性があったのだ。
ぼくらの革命は、口紅で汚れたテイクアウトのコーヒーカップ、タバコが山盛りの灰皿、ゴキブリの這い回るスラムの家、寂れた24時間営業のキンコーズから 醸成 されていた。それは、ふさわしく呼び起こすべき、紙コップのなかのロマンティックな反乱だったのだ。
ブルース・ラ・ブルース、トロント、2008年