野球試合における最も面白い点を知ろうとする野球ファンのために、私はつぎの短い物語をしようーーこの物語は、とくに若い少年たちを喜ばすだろうと思う。
真に野球を理解する人々には、立派な投手ぶりよりも、好打者のほうが多くの興味を惹くようだ。私がかつて投手をつとめた経験があるから、あえてこの言い方をしよう。(〔訳〕註:ルース君は五年以前まではボストン・レッドソックスの投手をつとめていた)私がここで言おうとするのは、下は小さい少年から上は大リーグの選手にいたるまで、誰だって好打者たることを心掛ければ、なれないことはないという点である。この言葉はたいへん大胆な、向こう見ずの意見のようだが、私はあくまでもこれを主張するとともに、立派に右の事実が存在していることを証明することができる。しかし、私は決して生まれながらに良い打者が存在していることを否定するものではないが、良打者の大部分は日常の練習によってつくられることを主張するものである。すなわち、私の主張は、ある選手が努力の結果良い打者となることができる以上、他の選手も同様に努力すれば良い打者となれるということで、とくに少年たちにはこの理論は適用されると思う。
打者球を打つということは、科学的にいえばずいぶん複雑な技術であって、見物がベンチからバットを持ってプレートに歩いていく選手は、単にそこでバットを振ればいいと思っているように、そう簡単な容易な仕事ではない。ゴルフをやる人々は、私のいうことが良く判っていると思うが、打撃とは、形が整っているということなのである。ゴルフの球を打つ場合、打たれる球は地上にじっとしているから打ちやすいが、これに反し、野球において打者が打とうとする球は動いているーーそれも一定の速力で動いているのではなく、速度に変化があるうえに、プレートの上またはプレートを外れて色々と曲がるーーのであるから、非常に困難を感じるわけである。それだから打者が打撃をする場合の姿勢というものは、打撃に重大な関係を有するものであって、打者が完全な姿勢をもって球道をしっかり見ていれば、打つことは六つしかなく、安打を飛ばすことも容易であるが、一度 曲球 に惑わされたり、形が崩れたりすれば、とても球を打つことはできない。
私の述べていることが間違いでない証拠を二、三挙げてみよう。タイ・カップ君は我が球界 開闢 以来の良い打者だといわれている選手であるが、彼は決して生まれつきの強打者ではなかった。ちなみに、カップ君がプレートに立ったときの姿勢を一見してみたまえ。彼はすてきに良い眼の所有者である以外、彼の打撃姿勢は決して自然的だとはいえない。
名打者タイ・カップ君は、バットの端から一寸上のほうを両手を離して握り、決して全力をもってバットを振らず当て気味に球を打っている。彼はまたバッテング・ボックスのなかをブラブラ行ったり来たりして投手の投球に対して備えることをおこたらない。神は彼に良い眼を与えているだけで、彼の研究した打撃法がこの良い眼を遺憾なく活用している。この点から論ずるカップ君は、いやはや彼自身で良い打者となったといえる。ただ良い打者であるためには、良い眼の持ち主でなくてはならない。両大リーグを通じて、眼の悪い(視力の弱い)選手は一人だっていないし、また肉体上欠陥を有する選手も絶無である、であるにもかかわらず、両リーグ中に良い打者と悪い打者が存在しているわけは、後者に属する選手が各自の打撃姿勢について研究しない結果であって、打撃率の良くないのは偶然の出来事ではなく、なにかそうなるべき理由が存在しているのである。
良い打者たる 形 を打壊してしまう要素は、
一、バットが一つのモーションで滑らかにスウィングされないこと
二、バットを振るとき、あまりに股をひろげること
三、あまりに固くなってしまうこと
四、前屈みになりすぎること
五、打球の際、投手に近いほうの足をひくこと(逃げながら打つこと)
の五項に注意し、この悪癖を除かなければならない。
打球する瞬間、ゴルフのときと同様に、打とうとする球に全勢力を集中しなければならない。投手から投げられる球がプレートを過ぎるまで眼を離してはいけないし、投手がいかなる球を投げるかを予期してはならない。これ〔予期〕を頭に入れておいて本塁打を打とうと試みるために、私は、球速をたくみに変える投手に面して捻られてしまうことがある。
大リーグに入りたての、若い選手や少年がおちいりやすい弊は、球をやたらに猛打しようとすることである。この弊はゴルフをやる人々のあいだにも見受けられる。滑らかなスウィングと完全な形は、眼覚ましい結果をもたらすものであって、若い少年たちは、とくにこの点に注意していただきたい。
ナショナルリーグ第一の強打者たるセントルイスのロジャース・ホーンスビー君は、打球に際して自由なたいへん自由なスウィングをするが、決して足を惹くようなことはしない。彼は現在完全な打法を会得しているのであるが、はじめてセントルイス・チームに参加したときは、あまりに打法が悪いので、すぐ小リーグに追い返され、翌年打法を呑み込んで、再びセントルイス軍に加わるや、恐るべき強打者となってしまった。こんなことをいうと、いかにも誰でもホーンスビー君のような強打者になれるようであるが、ホーンスビー君は彼独特の打法を有して恐れられているのであって、若いプレーヤー諸君に知ってほしいのは、研究さえすれば諸君自らが想像できないほどにまで、各自の打撃を向上できるということである。私はベースボールプレーヤーとして以上のようなことを述べたのであるが、私の本塁打打法をつぶさに研究した少数の野球研究家は、打法の研究を熱心に続ければ、すべての選手は良い打者になれるといっている。