MUSIC

ローマ留学時代の手紙

クロード・ドビュッシー

小松耕輔訳|ARCHIVE編集部編

Published in 1885 - 1887|Archived in May 17th, 2024

Image: “Claude Debussy During His Studies In Rome”, 1885.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

1884年、22歳のクロード・ドビュッシーはローマ賞を受賞した。本稿は、受賞の翌年からはじまった2年間にわたるローマ・メディチ留学時代のドビュッシーの手紙を、ARCHIVE編集部が『ドビュッシー』から採集・編集し、収録したものである。
旧字・旧仮名遣い・旧語は現代的な表記・表現に改め、脱字を直した。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:クロード・ドビュッシー(1862 - 1918)訳者:小松耕輔編者:ARCHIVE編集部
題名:ローマ留学時代の手紙原題:「第二章 羅馬留學時代」
出典:『ドビュッシー』(共益商社書店。1938年。24-39ページ)

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ローマ賞受賞(1884年)を回想して
 
〔コンクール会場を出て、デ・ザール橋に立ち、セーヌ川を渡る小舟群を眺めながら〕私は冷静だった。あまりにもローマ的なあらゆる感動を、すっかり忘れてしまっていた。河氷のうねりに戯れるきれいな太陽の光がとても美しかった……。不意に誰かが私の肩を叩いて、声を弾ませながら言った。君は勝ったよ!と……。人が信じようと信じまいと、私ははっきり言うことができるが、私の歓喜は消えてしまった! ほんのささやかな公式称号がもたらすさまざまな煩いや苦労を、私は明らかに見た。そればかりでなく、私は自分がもはや自由でないのを感じた……。

〔『ジル・ブラス』紙への寄稿。1903年4月6日〕

ローマ留学時代の手紙から
1通目
 
とうとう僕はこのいとわしい都へやってきました。はっきり申し上げますと、僕の第一印象は決して良いものではありません。天気がひどく悪くて、雨が降り風が吹いています。もっともパリとおなじような天気を見出すためならば、ローマへやってくる必要はすこしもなかったわけです。ことにローマのすべてに対して激しい嫌悪の情を抱いている者としましては……。
 
大勢の友達がモンテ・ロトンドの僕のところへ会いにやってきました。そこの汚い小部屋で僕たち6人は寝ました。彼らはすっかり人が変わってしまっています! パリ時代のような親しさはなく、愛想気がなくつんつんしていて、なんだか偉ぶった様子をしています——まったくこの連中ときたら、あまりにもローマ賞受賞者風です。
 
メディチへ着いた夜、僕は僕の交声曲を演奏しました。喝采してくれた人たちもいましたが、その人たちは音楽をやる連中じゃありませんでした。
 
先輩たちのよく言う芸術的雰囲気だの、厚い友情だのといったものは、かなり誇張されたものです。一、二の例外を除くと、お互い同士語り合っても詰まりません。そうしたくだらないおしゃべりを聞くたびに、僕は僕たちのあの楽しい立派な談話、僕にとって大変有益で、色々の事柄に対して僕を啓発してくれた談話を思い出さないわけにはいきません。ああ、どんなに僕はそれを懐かしく思っていることでしょう。そればかりでなく、ここにいる連中はみんな心からのエゴイストで、銘々自分のためばかりに生きています。マルティやピエルネやヴィダルなどの音楽家の連中は、それぞれお互い同士仲が悪いのです。マルティとピエルネが組んでヴィダルをやっつけると、今度はピエルネとヴィダルが組んでマルティをやっつけるといった風な具合です。
 
ああ! 自分のだだっ広い部屋——一つの家具から他の家具まで行くのが骨なくらいです——に帰ったとき、どんなに僕はひとりぼっちの寂しさを感じたでしょう、そして泣いたでしょう!
 
どうぞ僕をお忘れにならないでください。そして僕があなたの友情のなかに占めている地位をお捨てにならないでください。あなたの友情は、今後の僕にとってどんなに必要かわからないのですから。
 
僕は勉強しようと努力しましたが、どうもできません。しかし僕は自分にできることならなんでもします。僕がどんなに音楽を愛しているかは、あなたもご承知です。だのに現在の状態ときたら、まるで僕の考えとはちがっているのですからね。僕はこんな生活を続けることはできません。友人たちにとって楽しいことでも、僕にとっては一向楽しくないのです。僕がこういったからとて、なにも僕が傲慢だからではありません。いいえ、僕にはそうした生活に慣れることができないのです。そうした生活に必要な特別な才能や無関心さというものを、僕は持っていないのです……。

〔友人マルグリット・ヴェスニエ宛の手紙〕

2通目
 
あまりにも几帳面すぎる鋳型のなかに自分の音楽を封じ込めることはとうていできないことを、僕は信じています。といっても僕はべつに音楽的形式についていっているのではありません。単に文学的見地から述べているのです。僕がつねにより好むのは、そこでは魂の諸々の感情の慎重丹念な表現のために、行為が犠牲にされているようなあるものです。表現の方法を掘り下げ、洗練することによって、音楽はより人間的なもの、より生命に満ちたものとなることができるように思います……。
 
メディチにもたった一つ良いことがあります。それは仕事の上の完全な自由さです。それによって僕らはオリジナルなものをつくりあげることができ、いつも同じところを堂々巡りしないですますことができます。僕はこれを利用しなければなりません。もっとも当局は明らかに自分の道だけが良きものであることを信じて、僕の意見に賛成しないことは確かですが、それでも結構です。僕は僕の自由と僕自身のものを、あまりにも深く愛しています。すくなくとももし僕は環境の自由が許されてないとしても、僕は精神の自由で復讐することができます。しかしこんなことは単なる不平にすぎません。ただ一つの真実なことは、僕がそうした音楽以外には作曲できないということです……。
 
結局僕は、誰か満足を見出してくれる人のために、自分の最善を尽くすつもりです。それ以外の人々が何と言おうと、僕は一向平気です。
 
ひどい暑さです。僕のように朗らかでないローマ人にとっては、まったくやり切れないくらい……。ピアノを弾き始めると、僕はまるで自然人のように汗をかきました。
 
そればかりでなく、夜になると小さな虫がぞろぞろ押し寄せてきて、僕らを眠らせないばかりか、身体中膨れ上がらせます。
 
エベール(メディチの館長)はこれを僕たちの作り事のせいにして、自分は少しも虫なんかには喰われないと言っています。
 
そんなことを言ってメディチの悪評を立てるのだと彼は言います。実際また彼はイタリアが大好きで、イタリアのことならどんなヘンテコなことでも、彼にはすばらしく見えるのです。いつかの晩などは、ローマの酔っ払いは千鳥足でなんぞ歩かないとさえ言いました。つまり彼らは英雄的な酒を呑むからだと言うのです! 彼らが英雄的に乾杯するだろうことは僕も十分信じています。千鳥足に歩くか歩かないかとなると問題ですね……。

〔友人マルグリット・ヴェスニエ宛の手紙〕

3通目
 
ああ! 僕は思う存分自分の野性的な本能を満足させることができました。誰一人知っている者とてはなく、話をするのは食事の用意を命ずるときだけでした……。
 
僕はかなりよく勉強しました。そして生まれたときからそうであったかのように、よく散歩しました。多分僕の海辺生活は、あなたの海辺生活よりもマシだったと言っていいでしょう! なるほどここには社交人士もカジノもありませんでしたが、それだから一層僕はその生活が好きだったのです……。

〔友人のジョゼフ・プリモリ伯の別荘にて、友人マルグリット・ヴェスニエに宛てた手紙〕

4通目
 
もしお望みならこうも言いましょう。たくさんの最上の物、最もよく空想をそそり立てる物に取り囲まれながら、怠屈を感ずるなどというのはいけないことだと。まったくその通りです。しかし人間は生まれ変わるわけにはいきません……。
 
もう一度言いましょう。そんなことは大して気にするほどのこともないと。しかし一番辛いのは、それが大変僕の仕事の邪魔になることです。一日一日とより深く僕は平凡さのなかに落ち込みます。もう僕は何一つ楽しみを見出しません。それが将来に対する反省の権利を与えるのだと僕は思います。
 
僕が十分自分自身に満足を感ずべきであること、自分自身に対してあまりに厳格すぎることを、あなたは心から忠告してくださいました。けれども今度という今度は、僕は十分あなたのご忠告にしたがいえたとは思いません。仕事が捗って嬉しさは感じたものの、ただちにまた僕はそこに過誤と虚無を見出さずにいられなかったのでした。
 
こんな風で、この一年間の経験からして、ここにいては何一つ立派なものはできないだろうということ、こうした生活は全然自分の肌に合わず、尻尾を捲いて退却するより外はないということが、だんだん僕には分かってきました。
 
もう一度無理にこうした生活を始めるのは、自分にとって決してためにならず、いよいよ自分をいけなくするばかりであり、以前自分が持っていた仕事の才能を、まったくなくしてしまうことになるのだということを、僕は真面目に信じています。僕が怠けてやってみようとはしなかったのだなどと、誰も言わないように僕は望んでいます。無駄に終わったこの一年間が、このことを豊富に証明してくれます。
 
こうして僕は今学期が終わったら退学したいと思っています……。僕がこう言うのは、現在の自分のためでなく、僕の将来のためなのです。

〔友人マルグリット・ヴェスニエ宛の手紙〕

5通目
 
このごろメディチは大変賑やかです。エベールは大勢の人を連れてきましたが、それはオション氏とかいう人をはじめ、みんな生粋の社交人士ばかりです……。幸にして僕はあのやり切れない宴会に出ないでもすむ方法を発見しました。晴着を売ってしまった上に、新しいのを作る余裕はとてもないからと、エベールに言ったのです。彼は僕を狂人扱いしましたが、そんなことは僕は全然平気です。それで僕は目的を遂げることができました。なぜならば礼儀というものを特別大切に考えているので、立派な夜会服や燕尾服の連中のなかへ、見すぼらしい背広を着た人間を連れて行くことなんか、とてもできないからです。
 
僕の友人たちの影響などというものを信じないでください。まず第一に僕は友人と会うことがきわめて稀ですし、それから私の作ったものに対する彼らの意見なぞ、僕は全然問題にしてないからです。

〔友人マルグリット・ヴェスニエ宛の手紙〕

6通目
 
あなたは僕の性格をよくご存知です。そして僕がどんなに周囲のものから影響を受けるかも知っておいでです。実際このメディチは、僕を圧し潰し、僕をダメにしてしまいます。僕は息が詰まりそうです。すっかり頭がバカになってしまって、見るもの聞くものイヤでしょうがないのですけれど、そうした考えを追い払うことがまったくできないのです。それでも立派なものに対する感覚はまだ失わないでいますが、当然それを愛さなければならないような風には、またそれが自分にとって本当にためになるような風には、僕はそれらを愛してはいません。
 
それというのも僕が辞令によって無理に当地へ来るようになったからであり、アカデミーの影が自分の上に重くのしかかっているのを、僕が感じているからなのです。ああ! 青服を着た門番から、それについて話すたびに恍惚として眼を天に向ける院長にいたるまで、このメディチはなんとアカデミックな伝統でいっぱいなことでしょう。ミケランジェロやラファエルに対する人々の賛辞は、ちょうど宴会の卓上演説そっくりです!

〔友人マルグリット・ヴェスニエ宛の手紙〕

7通目
 
いかに僕の時間を使用すべきかについて、ご親切に教えてくださったあなたの手紙に対し、こんなに悲しい返事を差し上げるのを、あなたはきっと恩知らずだとお考えになるでしょう。それについては僕は心からお詫びしなければなりませんが、実際僕にはどうしようもないのです。僕は恐ろしく淋しくて病気なのです。あなただけが僕にとっては、自分の思うことを残らず打ち開けることのできる方なのですから、僕はあなたのご厚意を利用します。ただ一つ心配なのは、そのためあなたにイヤな感じを与えはすまいかということです。
 
もしあまり長いことこちらにいたら、たくさんの時間を全然無駄にしてしまいはしないか、僕の芸術的計画の大部分が死んでしまいはしないかということを、僕はかなり気遣っています。卒直に申し上げますと、僕は解放のときが来るまで待っていることはできません。
 
僕はもうここに止まることはできません。あらゆることを僕は試みました。あなたのご忠告どおりにもやってみました。自分にできるだけの努力をしたことを、僕は誓います。けれでもそれらはすべて、自分がここでは決して生活したり仕事をしたりはできないということを、分からせてくれたにすぎませんでした。
 
あなたは多分僕があまり性急に決心しすぎ、十分熟考しなかったとおっしゃるかもしれません。しかし僕は自分がずいぶん熟考したことを確言します。もしも僕がいつまでもここにいたら、僕が全然ダメになってしまうことは明らかです。そのことを僕はよく自分で感じています。こちらへやってきてからというもの、僕の精神は死んでしまいました。けれども僕はうんと勉強して、ただ僕だけにできるようなものを作曲したいのです。それにあなたもご存知のとおり、作曲をしているとき、僕はひどい疑惑に捉われます。そんなとき僕のためには、僕を力づけてくれる確かな誰かが必要なのです。あなたのお宅にいるときは、そうしたことがたびたびありました。あなたは僕に勇気を与えてくださいました。僕のつくったものがあなたのお気に召したときは、僕は自分がずっと強くなったように感じました。ところがこちらでは、そうしたことが全然望めないのです。僕の友人たちは、僕の悲しみを嘲笑します。僕にしても彼らのお蔭を蒙ろうという勇気は全然ありません。
 
もし事が全然うまく運ばなかったら、僕が大勢の人から見放されるだろうことは確かです。なにもかも申し分のないこうした生活、しかし実に単調でみんな眠りこけるか僕のように焦ら焦らするかしている生活を続けるよりも、パリで二倍も仕事をするほうが僕は好きです。こんな生活をしながら良い作品を作れというのは、無理なことです……。

〔友人マルグリット・ヴェスニエ宛の手紙〕