MUSIC

恋愛をめぐる断章

ピョートル・チャイコフスキー

川崎備寛訳

Published in 1867 - 1888|Archived in May 17th, 2024

Image: La Volé, “Wilfride Piollet in ‘Swan Lake’”, 1977, licensed under CC 3.0.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

本稿は、『大作曲家の恋愛と結婚』所収の、ピョートル・チャイコフスキーの手紙・日記その他の抜粋を、ARCHIVE編集部が採集・編集し、時系列順に収録したものである。
原文ママだが、手紙・日記その他の前後に「……」を付記し抜粋であることを明示し、一部旧語的な表現(「気持」→「気持ち」)を改めた。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。結婚に関しては底本を参照したが、チャイコフスキーの伝記的研究が進んだ現在では、誤謬もあろう。不足・過誤は読者からの指摘を待ちたい。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ピョートル・チャイコフスキー(1840 - 1893)訳者:川崎備寛編者:ARCHIVE編集部
題名:恋愛をめぐる断章原題:「チャイコフスキーの神秘な結婚」
初出:1867〜1888年
出典:『大作曲家の恋愛と結婚』(音楽之友社。1963年。236-248ページ)
Image: La Volé, “Wilfride Piollet in ‘Swan Lake’”, 1977, licensed under CC 3.0, trimmed by ARCHIVE.

FOLLOW US|REFERENCE / INTERACTION

XINSTAGRAMLINKTREE

妹宛の手紙|1867年
 
……こういう気分のとき、男というものは当然結婚問題に考えを向けるだろうと、お前は思うかも知れないね。だがそうじゃない。仲良しの妹よ! 僕は非常に疲れて、いまさら新しい係累をつくるのも 億劫 おっくう だし、家庭を構えるのも億劫だし、女房子供を背負っていくことは、考えただけでも億劫なのだ。……

妹宛の言葉|1868年
 
……僕はアルトー〔ベルギーの人気オペラ歌手、デジレ・アルトー(当時33歳)〕と非常に親密になった……僕は彼女に特別な気持ちで愛されている。僕は今までに、こんなに優しい、こんなに親切な、こんなに利口な女に会ったことはない。……

兄宛の手紙|1868年ごろ
 
……ああ、愛する兄上、僕は今、あなたの思いやりの深い心が、僕の心の重荷を軽くしてくださることを願っています。芸術家とはどんなものか、またアルトーという歌手はどんな人かを、あなたにわかってもらえたらと思っています! 僕は今までに、どんな芸術家からも、これほど感動させられ、興奮させられたことはありません! あなたに彼女を見ていただくことも、彼女の声を聞いていただくこともできないというのは、なんと悲しいことでしょう! 彼女のすばらしい表情や、気高い所作や、芸術的なポーズをごらんになったら、どんなにかあなたは喜ぶことでしょう!……
 
〔手紙の返事が遅いことを兄から咎められ〕……余分の時間は全部、私の心から愛している『ある人』に捧げなければならないのです。……

父宛の手紙|1868年12月
 
……私は毎日のように彼女からしつこい手紙を受け取りました。そしていつとはなしに——理由はわかりませんが——しょっちゅう彼女を訪ねていく習慣がついてしまいました。私たちは急に双方から恋い慕うようになりました。正式の結婚話が自然と持ち上がりましたので、故障さえなければ夏には式を挙げたいと、二人とも望んでいるのです。……
 
……私は心から彼女を愛しています。彼女なしに一日も生きていけない気がします。……

兄宛の手紙|1868年ごろ
 
……この恋愛問題は、形勢の良くないほうに向かいつつあります。……
 
〔その後、1869年1月、チャイコフスキーの恋人デジーレ・アルトーは、チャイコフスキーに黙って歌手のパディラと結婚する。〕

チャイコフスキーの日記|1870年ごろ
 
〔仕事の関係でアルトーと再会して〕……この女は私に大きな苦しみを与えた。それなのになんだか不思議な同情が、私を彼女のほうに引きつける。まるで熱病患者のような気持ちで、私は彼女の到着を待っているくらいだ。……
 
〔アルトーの歌唱を聞いて〕……その時間中、涙が彼の頬を流れ落ちた。……

妹宛の手紙|1870年2月
 
……一つだけ残念なことがあるのだ。モスクワにはほんとに親しい、打ちとけた、家庭的な関係にはいれそうな人が一人もいない。もしもお前か、お前のような人がこの地に住んでいたらどんなに幸福だろうと、ときどき僕は思うのだよ。僕は、子供たちのにぎやかな声とか、家でのつまらない遊びの仲間入りするとかいう——つまり家庭生活そのものに、大きな憧れをもっているのだ。……

父宛の手紙|1872年11月
 
……結婚の問題について、私は自分にふさわしい妻を見つけようとしていたことを告白しなければなりません。しかしあとになって後悔するようなことになりはせぬかと心配しています。私は収入の点では、まず不足はありません(年に三千ルーブルです)。でも金の使い方を知らないため、私はいつも借金で四苦八苦なのです。独り身の間は、これもたいした問題ではありませんが、女房や子供を支えていかねばならないとしたら、どういうことになるでしょう。……

兄宛の手紙|1876年
 
……私は結婚の決心をしました。この決心は撤回するわけにはいきません。……
 
……たとい相手がどんな人であろうとも、私は固く結婚を決意しています。……

友宛の手紙|1877年5月
 
……僕は永久の関係としてまじめに結婚のことを考えている。……
 
〔このころ、フォン・メック夫人とのプラトニックな関係がはじまり、同年7月に婚姻。〕

メック夫人への言葉|1877年
 
〔大金の報酬と引き換えに作曲せよという夫人の申し出を断って〕……自分の芸術を金で堕落させることは良心に反する。……

兄宛の手紙|1877年ごろ
 
……ある日私は、前から知っていたある娘から手紙を受け取りました。その手紙で私は、彼女が私を愛していることを知ったのです。その手紙は非常に暖か味のある率直な言葉で綴られていましたので、私は返事を出す決心をしました。——今までは、そういった場合に決して返事を出さなかったのです。手紙のやりとりのことをいちいち説明するのは止めまして、その結果私は、自分の未来の妻の希望に従って、彼女に会いに行きました。なぜそんなことをしたか? と申しますと、何か目に見えない力が、私にそうすることを命じたように思われるのです。私たちが会ったとき、私は、彼女の愛に報いるためあらゆる同情と感謝を彼女に捧げることができると、約束してしまいました。後になって私は、自分の軽率な行為を咎めました。私が彼女を愛していず、また彼女にいっそう愛してほしいとも思わないのに、なぜ彼女を訪問などしたのでしょう。それが結局、こんなことになったのです。次の手紙を見て私は、自分の気持ちがあまりに深入りしたのを知りました。もし私が突然彼女を振り捨てたら、おそらく彼女は不幸な身の上になり、彼女を悲劇的な運命に突き落とすだろうと思いました。
 
そこで私は、一人の人生を犠牲にして自分の自由を守るか、それとも結婚するかという二つの道の、どちらか一方を選ばなければならない重大な岐路に立たされました。後者は私にできる唯一の選択でした。そこで、ある晩私は彼女に会いに行きました。そして私が彼女を愛することができないこと、しかし永久に彼女の楽しい友だちになるであろうことを、はっきりと宣言しました。そのとき私は、自分の性格や、短気なことや、性分のむら気なこと、内気なこと——最後に経済状態まで、洗いざらい話しました。その上で私は彼女に、私の妻になりたいかどうかをたずねたのです。もちろん彼女の答えは『イエス』でした。その晩以後、私の経験した煩悶というものは言葉に表わせないものでした。これは当然すぎることです。三十七年の間、生まれながらの結婚嫌いを押しとおしながら、今突然、単純な事情に余儀なくされて花婿にされるのです。しかも花嫁に少しも魅力を感じないのに——まったく恐ろしいことです。私はもう一度自分の気持ちをとり戻して、将来の考えに慣らすために、一ヵ月間、田舎へ行って来ようと決心しました。私はそれを実行しました。私は自分の運命からのがれることはできないのだと観念して、みずからを慰めております。まったくこの娘との会見は致命的なものでした。
 
私の良心ははっきりしています。私が愛情なしに結婚しても、それは境遇がそれを強いたためです。仕方のないことです。軽率にも私は、彼女の最初の愛の告白に負けたわけです。彼女に対して最初から、ぜんぜん返事など出さないほうがよかったのです。……

メック夫人宛の手紙|1877年8月7日
 
……もう1時間もすれば、私は出発します。このままで二、三日いたら、私は気違いになってしまいます。……
 
〔ハネムーン後に、独身時代の思い出の土地、カメンカに向かう際に。〕

兄宛(か)の手紙|1877年8月23日
 
……私は今では、自分の困難な危機を乗り越える確信がつきました。私は妻と別れたいという気持ちと戦わねばなりません。また彼女の良い素質を、いつも念頭におくように努めます。実際彼女は、いろいろの良い素質を持っているのですから。……

兄宛の手紙|上記と同時期
 
……妻は私を出迎えに来ました。かわいそうな女です! 彼女は私たちの家庭作りに並々ならぬ苦心をしたようです。でも私たちの家庭は私を喜ばせました。小ざっぱりしして、住み心地もよく、適当に豪奢でした。……

メック夫人にかけた最後の言葉|1877年10月6日
 
では行ってくるよ! ご機嫌よう!
 
〔新婚生活中に健康状態を悪化させ、医者から勧められた転地をする際に。〕

弟宛の手紙|1882年
 
……妻だけが満たすことのできる いたわり 、、、、 と慰めに対して、一種のあこがれといったものがある。ときどき僕は婦人の愛の手を、狂気のように求めることがある。また情け深い婦人を見ると、その膝に頭を埋め、その手に接吻することができたらと思うのだ。……

チャイコフスキーの日記|1888年
 
〔かつての恋人アルトーとベルリンで再会して〕……今夜のことは、ベルリン滞在中のもっとも楽しい思い出の中に残るものだ。この歌手の人と芸術には永久に敵対できない。……