MUSIC

フランツ・リスト

ロベルト・シューマン|クララ・シューマン

柿沼太郎訳|高野瀏訳|ARCHIVE編集部編

Published in March 18th, 22nd, 1840 .etc|Archived in June 8th, 2024

Image: “Franz Liszt”, 1858.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

本稿は、底本の二書から、ロベルト・シューマンおよびクララ・シューマンによるフランツ・リスト評を編集・収録したものである。
旧字・旧仮名遣い・旧語は現代的な表記に改めた。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:ロベルト・シューマン(1810 - 1856)著者:クララ・シューマン(1819 - 1896)被伝者:フランツ・リスト(1811 - 1886)訳者:柿沼太郎訳者:高野瀏
題名:フランツ・リスト
初出:1840年3月18日ほか
出典:『楽聖夜話』(大観堂。1943年。192-193ページ)出典:『フランツ・リスト伝』(河出書房。1940年。99-101、202-203ページ)

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ロベルト・シューマンによるリスト評

演奏を聴いて(1838年ごろ)
我々の印象はあまりに斬新であり、あまりに強力であり、あまりに意表に出ているから、思慮深い説明はできない。ここでは普通の標準は役に立たない。というのは、よしこの巨人像は説明できるとしても、正しくその精神をなすもの、つまり天才の息吹きそのものは、ただ経験できるだけであって、描き出すことは到底できないからである。
 

 
クララ・シューマン宛の手紙(1840年3月18日付)
私はリストと丸一日一緒だった。昨日彼は私に「もう二十年も昔からの知り合いのような気がする」と言ったが、私にもそういう気がする。私どもはもうお互いに本当に無作法だ。それは彼がウィーンというところでまったく気ままにうっちゃらかしに育ったためだと思う。
 
彼はしかもなんとすばらしく演奏することだろう。大胆に、狂暴に、また柔軟に、高雅に、——これを私はいま皆書いたのだ。しかしクララよ、こうした世界はもはや私のものではないのだ。これは彼のものだと思う。
 
お前さんがやっている芸術、この美しい感情を私はしかし彼のすばらしさのために棄て去るものではない。——そしていくらか金ピカ物がそこにはあるのだ。しかもあまりたくさんこれがありすぎるかもしれない。
 

 
クララ・シューマン宛の手紙(1840年3月21日付)
こんなことは本に書いてはなるまいが、私はお前さんにこのゴタゴタを全部ここに述べねばなるまい。第二回の演奏会に彼はいまだ行っていなかった。そして床のなかに入っていたかったのだ。二時間前になって、彼は病気ということを知らせた。彼が疲労していたということは私もよくわかっている。だがその他にこれは一つの政略的な病気でもあったのだ。私は彼を一日中寝かしておいたのはよかったと思う。私のほかにはメンデルスゾーンとヒルラーとロイスが彼のところに行っただけだ。彼は演奏会で、いままで見たこともないようなヘルテルの楽器で演奏したということをお前さんは信じられますか。こんなに気に入ったことはない。彼の十本の指はなんといってもすばらしいものだ。
 
彼に栄誉を与え、いかなる芸術であるかを聴衆に認めさせるために、メンデルスゾーンはうまい考えをめぐらした。彼はリストのために明晩ゲヴァントハウスで管弦楽と一緒に大演奏会をすることにした。そしてこれには少数の人々が招待され、メンデルスゾーンの二、三の序曲、シューベルトの交響曲およびバッハの三重協奏曲(メンデルスゾーン、リストおよびヒルラー)を演奏するということになったのだ。
 

 

1840年3月22日付のクララ・シューマン宛の手紙

リストはいわば、非常に貴族的に染まってここへやって来たのだ。そしていつも化粧部屋や伯爵夫人や皇女たちがいないのを嘆いている。これは私を大変面白くなくしたものだ。
 
そこで私は彼に、ここは私どもの貴族がいるのだ。すなわち百五十の本屋と五十の出版者と三十の雑誌社があるのだ。これを考えねばならぬと言ってやった。ところが彼は笑って、ここの風習などにはどうしても目をくれなかった。それだからこそすべての新聞雑誌等からいまひどく当たられているのだ。私のこの貴族という概念に彼が気づいたらしいので、つまり人々が彼を罵倒した二日前から、彼は非常によくなったのだ。
 
リストは毎日毎日力強くなっていくように私には思われる。今日の午前にも、彼はヘルテルで演奏をしたが、私どもは震えて喝采したのだ。
 

 
演奏会について(1840年3月25日)
このごろはすっかり昼も夜もご馳走づくめで、音楽とシャンパン、伯爵と美しい婦人以外になにものもなかった。つまり彼は私どもの生活をひっくり返したのだ。私どもは彼をどこまでも愛するのだ。そして昨日彼はまた演奏会を開いた。これは神のような演奏ぶりだった。そして大喝采は名状しがたいものであった。がみがみ言うお喋り屋がでてきて、やっとこれを静めたような始末だった。

クララ・シューマンによるリスト評

演奏を聴いて(1838年ごろ)
妾たちはリストを聴きました。彼はいかなる名手にも比べられない人です。独特の種類の唯一者です。すこぶる愛すべき芸術家なのですが、にもかかわらず妾たちに恐怖と驚愕の念を起こさせます。
 
彼がピアノに向かう態度は、言葉では言い現わせません——独創的なのです——ピアノに向かったところは、暗い感じです。その情熱には際限がありません。彼にはメロディーを打ち壊して、妾たちの美感を傷つけることもあります。
 
彼は偉大な精神の所有者です。リストの場合、芸術は生命だということが、本当に言われます。
 

 
日記より(1840年3月30日)
彼〔リスト〕の談は精神と生命に充ちている。だが彼はまたなかなか面白いところがある。人々はこれをどうしても忘れることはできない。彼は非常にくつろいで話をするので、これを誰でも感じないわけにはいかない。しかし私は彼のところに長くいることはできなかった。不安、動揺、大変な活発さ、これらがすべて人をすっかり紡ぎ尽くしてしまうのですもの。
 

 
1850年ごろ
リスト以前は、ピアノを演奏したものですが、リスト後は、ピアノを打つのであり、〔私は〕ただぶんぶん鳴らすのです。彼はピアノ演奏の没落を知っていたのでしょうか。……リストの演奏は、ものすごいもので、恐ろしい物です。