徳川家康が入府したとされる天正18年(1590)頃の江戸は、一面の葦原に囲まれた小さな村落だったといわれる。その後家康・秀忠・家光の徳川三代に及ぶ江戸の街づくりにおいて、水の確保は重要な課題であった。
神田上水は、江戸最初の水道(上水)として、井の頭池を水源とする現在の神田川から目白台下の大洗堰で取水し、名園後楽園を有する水戸藩邸を通って神田川を掛樋(木製の水管橋)で越え、神田や日本橋方面の飲み水として、江戸時代の初めから明治時代まで、長く江戸の人々の生活を支えた。
この石樋(石垣樋)は昭和62年から平成元年にかけて発掘された神田上水の幹線水路(暗渠)の一部を移築復原したものである。
内部寸法は上幅150㎝・下幅120㎝・側高120~150㎝で、長さ180㎝・幅60㎝・厚さ30㎝ほどの蓋石で覆われている。
江戸上水から東京水道への400年を記念するとともに、江戸時代遺跡の活用を図ることを目的に、ここに移築復原されたものである。
東京都水道歴史館