①国分寺の湧水・地下水との出会い
中学卒業まで府中市新町で暮らしていましたが、東八道路の建設によって立ち退くことになり、国分寺市西恋ヶ窪に転居しました。高校・大学時代はサークル活動等に忙しく、地域のことは全く無関心で、環境問題についての取り組みもしていませんでした。
結婚して世田谷区に転居し、子育てをする中で生活クラブ生協に加入し、食品の安全性や自然環境の重要性について学ぶ機会があり、各種の社会問題について関心を持つようになりました。市民が議員になっていく生活者ネットワークの運動にも出会いました。
1988年に実家を2世帯住宅にしたため、再び国分寺市に住むことになりました。3人の子どもを育てながら、生協の委員会活動や生活者ネットワークの活動に積極的にかかわるようになり、地下水・湧水の保全活動は、その中のひとつでした。
特に1985年に環境省が選定した名水百選に、東京都では2か所が選ばれ、そのひとつが国分寺市の「お鷹の道/真姿の池湧水群」であることを知り、希少な地域に住んでいることを実感しました。そして、市内の湧水ポイントを見に行き、市内の豊かな自然環境や地下水を守る活動を開始しました。
②調査や保護などの活動内容
1990年に市民有志で国分寺地下水の会を設立し、神谷博さんが主宰する水みち研究会に参画。地下水の流れを把握するために市内の井戸所有者を訪ねて、井戸の状況を聞き取る調査を実施。結果をまとめて小冊子「国分寺の井戸」を1992年に発行。その後、井戸の調査は継続し、1994年に「続 国分寺の井戸」、2007年に「国分寺の井戸 その三」、2022年に「国分寺の井戸 その四」発行。
また、JR西国分寺駅の南側の広い地域が再開発で高層住宅などが建つ計画があることが判明し、その地域の崖下にある湧水ポイント「真姿の池」への影響を見極めるために、1992年に市内の湧水調査を開始。事前に東京農工大学の小倉紀雄教授(当時)から、調査方法などを教えていただいた。「湧き水は水質よりも流量が重要」「調査は長く続けること」というアドバイスに従って、現在も定期的な調査を継続中。当初の調査ポイントは野川の源流である日立中央研究所内の大池からの流出口(後に暗渠化)、真姿の池、リオン株式会社内から流れ出ている水路、不動橋、新次郎池(東京経済大学内)でしたが、今は真姿の池、リオン株式会社からの水路のみで流量を計測しています。
③活動中に感じた問題や課題
湧水ポイントが敷地内に複数ある日立中央研究所やリオン株式会社は湧水保全に協力的であり、現状が維持されています。日立中央研究所は「協創の森」を2019年に敷地内に開設した際も、3万本の原生林、野川源流の湧水、縄文時代の集落遺跡などをできる限り残した、とのことです。環境省の自然共生サイトにも認定されています。しかし、今後、各企業の経営状況によって維持が可能かどうかという課題があります。
また、国分寺市は「地下水・湧水保全条例」や「まちづくり条例」などで、湧水に直接影響がある地域の開発などを制限していますが、市域全体の緑地(畑や雑木林)を保全することはできません。所有者の事情であっという間に宅地化されています。1994年の人口は103015人で、2024年末は129538人ですから、26523人の増加ですから、それだけ住宅が増えて緑が減ったと言えます。雨が染み込む大地の保持が重要です。
私たちは地下水を保全しながら、飲用もふくめ利活用していくことを提唱してきましたが、数年前からPFAS汚染が発覚し、国分寺市では地下水の利用を都が制限しています。一刻も早く原因を究明し除去されることを願っています。
そして、市内の湧水が水源となっている野川については、最上流の国分寺部分のみ、コンクリートの3面張りです。小金井・三鷹・調布・世田谷のように親水性があり緑豊かな岸辺に整備するために、都が早く工事に着手することを切望しています。
④活動のコツ
自然環境の保全活動は、とにかく長く継続することが第一ではないでしょうか。そのためには、無理せず、楽しく、新たな人たちを巻き込みながら実践することだと思います。また、調査活動などから見えてきた課題を行政等に提案し、小さなことでも成果が得られるとやりがいにつながります。