KANTO:わたしたちの血中PFAS濃度を分析した病体生理研究所の環境発がん研究センターの所長である小泉昭夫先生は、公衆衛生学の第一人者として長年にわたり日本の公害と対峙されてきました。近年では、戦中の731部隊に関する文献・歴史調査も発表されています(「京都大学における戦時下医学研究 —— 科学研究費交付金に見る七三一部隊を含む戦争協力の実相」『七三一部隊と大学』2022年)(ちなみに、ここ病体生理研究所も、満州で水質と血液の「研究」をしていた731部隊に所属していた秋元寿恵夫医師が、公衆衛生学の軍事利用への反省から開所した研究所です)。武蔵野エリアでのPFAS問題についても、2003年の時点で多摩川水系の調査をされました。
足尾鉱毒や水俣病といった深刻な環境汚染を経験してきたはずの日本ですが、どうもPFAS対策には後ろ向きなように思えます。化学物質としてのPFASは世界共通です。しかし、PFAS問題となると、それへの対応は各国バラバラ。あたかもそこから日本社会の一端がうかがえるようです。
PFAS汚染問題という公害を大きな視点から捉え、わたしたちの社会を照らす問題として考えてみたいのです。
PFAS開発と軍事産業
小泉昭夫:有機フッ素化合物「PFAS」が開発されたのは、1930年代です。1938年、化学メーカーのデュポン社が「テフロン」を開発します。テフロンには、熱に強く、水を弾く性質がある。そこでまず、ウランの濃縮や原子爆弾の開発(「マンハッタン計画」)に使われました。パイプラインのコーティングとして使用すると、内部が高温でも耐えうるようになりますから。このテフロンの製造にPFOA(PFASの一種)が不可欠でした。
つまり、もともとは軍事用の化学物質なのです。それがやがてスペースシャトルやロケットなどに民用化され、フライパンなどに日用化されていきます。
日本でPFASが使用された契機も、やはり軍事に関連します。
デュポン社とならぶ化学メーカーである3M社は、1953年に、PFOS(PFASの一種)を発見します。1960年代には、米海軍と共同で泡消化剤を開発します。それが一気に進むきっかけになったのが、1967年7月、ベトナム戦争に参画中の航空母艦(フォレスタル)における火災事故でした。泡消化剤(水成膜泡消化剤「AFFF」)が完成すると、米軍は全軍で導入します。1970年代に入ると、日本の在日米軍基地にも配備されました。これが、基地汚染の原因となるわけです。
KANTO注:デュポン社と3M社は、PFAS開発・製造と並行して、その毒性も把握している。イギリスのジャーナリストであるジョン・ミッチェルによる入念な調査(『永遠の化学物質 水のPFAS汚染』)に依拠し、その経緯を以下に列挙する。1950年、3M社が、ラットを使用した動物実験でPFASが血中に蓄積する事実を発見。1960年代には、デュポン社が、ウサギなどを使用した動物実験で肝臓への悪影響の可能性を把握。1970年代には、3M社の科学者が、PFOAによるサルの免疫系の損傷と、PFOSに高濃度に曝露された全動物の死亡を確認、両物質を「毒物」とする機密メモを制作しつつも大規模製造を継続。1962年、デュポン社が、少量のテフロンを吸引させる人体実験を開始、被験者に悪寒と発熱を確認(「テフロン熱」)。1978年に、3M社が、自社労働者の血中からPFOAを検出。1979年に、デュポン社が、自社労働者の肝臓障害の可能性を把握。3M社が、PFOA曝露とラットの出生障害(とくに目)の関連性を確認。デュポン社が、産後直後の自社女性労働者7人中2人の子どもから先天性欠陥(とくに目)の存在を把握。1980〜90年代のPFAS調査では、曝露によるがん発生率の上昇が確認。なお、泡消化剤「AFFF」については、1970年代、米軍が、魚類や水系への被害を確認、1980年代、PFAS被曝したラットの仔の出生体重の減少を確認。
KANTO注:その後、2000年5月に、3M社が、PFASの主要物質であるPFOAとPFOSの製造の2002年までの自主的な中止を発表(2022年12月には、全PFASの製造からの2025年までの撤退を発表)。これを契機に、ストックホルム条約をはじめとするPFAS問題への世界的な規制への取り組みがはじまる。
PFAS問題へ取り組む姿勢を見せるバイデン - ハリス政権
トランプ政権とのちがいを強調したいバイデン - ハリス政権は、環境問題に配慮するポーズを見せつつも、心のどこかで自動車産業やラストベルトの有権者たちを繋ぎ止めておきたいのか、地球温暖化問題には切り込みませんでした。
その代わりに、とでも言ったほうがいいのでしょう、PFAS問題に重点的に取り組んでいます。これなら、米軍基地やデュポンといった化学メーカーなどに影響が限定されますから、自動車産業をはじめとする巨大産業へのダメージは避けられるというわけです。そこで、ロードマップを制作し、水道水の基準を策定したり、除染を開始したりしてきました。企業側も、迅速にそれを織り込んで、経営方針を変えています。
「資本主義がきちんと整備されればされるほど、健全な競争が働いて、法令や道徳からの逸脱が減少し、自然発生的に社会が良い方向に向かっていくのだ」という発想があります。大局的には、アメリカではそうした流れが起きているといえるのかもしれません。
日本の資本主義の「アジア性」
他方、日本の資本主義は、どうもそう動かない。たとえば、アメリカの特許の下にPFASを製造していた日本の化学メーカーの一つに、ダイキンがあります。いま大阪市摂津市で起きているPFAS汚染の原因だとされている企業です。
この汚染について、ダイキンと大阪府、大阪府摂津市は、どこまでを市民に知らせるべきで、どこまでを知らせないべきかを協議しているんで。
その内実は大阪府・ダイキン・摂津市の対策会議での議事録に記されていますが、どうも大阪府と摂津市が、ダイキンのいうことを聞き入れてしまっているようなのです。どうして行政が企業の言うことを聞いているのか。ダイキンが経済産業省のことを「吹聴」しているんです。「うちは経済産業省と一緒に情報公開や訴訟対応を進めているんですよ」と。それを聞いた行政側が「わかりました、その情報を教えてください」とお願いしているような様子が、議事録からうかがえるわけです。
KANTO注:「水の博物館」では、この会談資料「大阪府・大阪府摂津市・ダイキン工業株式会社|神崎川水域PFOA対策連絡会議議事録[第1回〜第19回]」を入手し、展示・公開している。
企業は企業で、お上に楯突かず、護送船団で物事を進め、都合のわることは隠そうとする。行政も行政で、「由らしむべき、知らしむべらかず」で、なにかと市民に隠そうとする。ダイキンに軍事を任せているという負い目もあるのでしょう(KANTO注:ダイキン工業は防衛省向けに多数の兵器を納品している)。
こうした日本の資本主義について、(ぴったりくる表現ではありませんが、)「アジア性」があると言ってもいいと思います。「社会主義の中国と資本主義の日本では、社会のありかたはちがう」と考える人もいますが、ものすごい深いところでは似ているでしょう。どちらの社会にも道理よりも、知縁・血縁や学閥・財閥が中心にありり、義理と人情と個人の立身出世を重視します。
その弊害は、「責任」というものを考えるときに現れてくるんです。歴史学者の加藤陽子さんは『満州事変から日中戦争へ』(岩波書店)のなかで、日本社会の「ガバナンス」の問題を指摘しました。ああいう歴史的事件が起きたとき、我々は影で糸を引く陰謀団のような存在を想定しがちですが、実際はそうではない、組織内の責任の所在が不明だったんだ、と。
PFAS問題もおなじです。さきほど経産省に触れましたが、一見そうした主体が、この問題について知悉していて、仕切っていて、解決を考えてくれているかのように思えます。しかし、本当はそうではない。誰も何も考えてない。空虚なのです。みながそれぞれ別々の解釈をもって、別々の見通しをもって、お互いを忖度してなにやら言っているうちにカオスになり、誰も責任をとらないという状況が生まれてくる。戦前からつづいているような問題です。
横田基地のPFAS汚染と日米地位協定
東京の場合、「横田基地が汚染源である」ということは明確です。しかし、日米地位協定があるために、日本側が基地内に立ち入りにくいわけですよね(KANTO注:日本側の再三の要求の末、取材日からニヶ月後の2024年12月に日本側が基地内にはじめて立ち入ることができた:参照「東京新聞」)。
日米地位協定には特別条項があるので、生命に関わる問題なら日米双方が対応しなければならないようになっています。ドイツが在独米軍基地にしてみせたように、日本のPFAS基準をアメリカに導入するように要求できたはずなんです。でも、日本は、曖昧なPFAS評価書(後述)を基に基準をつくってしまった。だから、それが難しくなってしまったところがあるのです。
汚染と除染の社会的な責任を考えるとき、アメリカの「スーパーファンド法」が参考になります。アメリカでは、汚染源とされる主体がその事実を拒否しても、まず先に政府が予算を投じて除染を実施できるようになっています。それと並行して、訴訟を通じて汚染者の責任を明らかにし、応分の負担を負わせられるようになっているんです。
政治と学問の乖離——評価書・エコチル調査・戦前の満州での医学研究
PFAS評価書とエコチル調査
PFAS評価書(内閣府・食品安全委員会)(KANTO注:2024年6月に内閣府の食品安全委員会があらためて策定した)も、どうして6月というタイミングで、なぜあの内容だったのか(KANTO注:国際水準に照らして健康リスクの評価が甘いという一部批判があった)。一部には、2019年の水道水の暫定基準がそのまま維持されています。誰かが悪意をもってそうしたわけではなく、「米国並みの低い基準になると水道行政が大変だ」とある関係者がべつの関係者の忖度をしているうちに、そうなっていったのでしょう。
一番問題に感じるのは、反映させるべきデータを反映させなかった点です。
評価書が出てから三ヶ月後の2024年9月、ある重要な論文が発表されます。環境省によるエコチル調査「母親のPFASばく露と子どもの染色体異常」です。
そもそもエコチル調査とは、環境省が2010年からはじめた大規模な疫学調査です。予防原則に沿った「環境政策の立案に貢献」(環境省)するための研究を社会実装するための研究助成制度です。したがって、科研費とちがって、論文投稿前にエコチルの委員会の審査と環境省への登録が必要です。今回の野見山先生グループの長谷川論文は、疫学調査としてはきわめて質が高く、インパクトファクターも高い。学問的な業績としては申し分がありません。研究者として敬意を表します。
先の論文では、血中PFAS濃度がきわめて低い妊婦でも、その子どもに染色体異常が認められることが示唆されています。イベントの前に暴露があることが明確に示されている。恣意性が入ってこないところでもそれが証明されるのは、因果関係を示唆する強い証拠です。ちなみに、国民のエコチル調査への期待は大きく、2024年の評価書採択前のパブコメの際にその解析と公表を急ぐように、多くの国民が要望を出していました。
実は、このデータ自体は、2023年7月の時点ですでに投稿されていました。即ちこの時点で、エコチルの投稿ルールでは既に科学的な妥当性の審査をパスし、環境省に登録されていることになります。即ち国は研究の科学的な妥当性も認めて投稿を許しそのデータを把握し、反映するだけの十分な時間がありながら、2024年6月の評価書には使わなかった、ということです。「環境政策の検討に貢献」するためのエコチル調査なのですから、国の評価書に反映させないでどうするのでしょう。食品安全委員会のWGの座長代理の方は、この論文のオーサーですよ。「日本の政府が世界に先駆けて発見したリスクです」と堂々と主張すればいいわけで、学問的業績と社会的責任に乖離があってはマズいでしょう。
情報公開と社会的責任
学問的業績と社会的責任に乖離した典型的な例として、戦前の満州での医学研究があると思います。これについてもすこしお話しします。
関東軍が建国した満州国というのは「実験的」な場所でした。欧州の知見を組み入れながら、どうすれば日本的な制度ができるのか、試行錯誤をしていたのです。いまのいわゆる科学費や予算の配分方法は、ここで「練習」することで生まれたところもある。戦前わが国には興亜院という満州の支援を行う省庁がありました。この興亜院は研究費の助成も行っていました。興亜院の研究資金の一部が、一部アヘン事業の利益によるものだといわれています。中国の人々をアヘン中毒にして生まれた資金を、満州の風土病や地方病の研究費に充てており学問的成果もありましたが、731部隊を間接的に支援するも研究にも組み込まれていました。こうした状況は、情報も公開されず当時は闇の中でした。
「これも戦前からつづいている」とまではいいませんが、しかし、日本では、PFASにしても、半導体にしても、あるいは国家事業として先端技術の開発に着手するときでも、情報公開されず、健康影響など倫理的な課題が軽視され、曖昧にされてしまうのです。
ただ、こうした状況でも、やはり責任は明確にしていかないといけません。汚染源の特定には困難と苦悩が伴います。しかし、だからといって責任を曖昧にしていいわけがない。
ハンナ・アーレントが「嘲笑」について語っているでしょう。お上が世間に隠れて何らか物事を進めようとしている事実を暴くとき、一番かれらに痛手を与える方法は「嘲笑」なのです。嘲笑えばいいわけです。さらに、嘲笑する傍観者を超えて、彼女は「アクション」の重要性も訴えていました。これには市民による政治的な活動も含まれるでしょう。大事なことは、事実をもとに、つねに考えつづけること、つねに言いつづけることです。