KANTO:PFAS問題を追っていくうちに、「化学は純粋に学問の世界に属するものである」という通念が揺らいでいきます。
竹田学さんは、まず日本の分析機器メーカーに勤務されたあと、化学産業の発祥地である欧米に活動の場を移し、長年にわたり複数の外資系化学メーカーでマーケティングやマネジメントなどに携わられました。その後、日本に戻り、化学物質のリスク評価や規制などにも携わります。研究の現場にはじまり、日本と欧米の市場や規制の動向にいたるまで、化学業界に精通しています。
PFASを開発したのは欧米の化学メーカーですが、いち早く規制に動いたのも欧米です。ところが日本はどうも動きが鈍いようです。日本の化学業界は竹田さんの目にはどう映るのか、お伺いしたいと思います。
ケミカルエンジニアの欠落
竹田学:化学産業の発祥は、もともとヨーロッパなんです。イギリスには世界最大の化学メーカー「ICI」、ドイツにも歴史的に由緒ある「BASF」「ヘキスト」や「バイエル」といった化学メーカーがありました。こうした「国策企業」ともいえる伝統的なヨーロッパの大企業は、技術力(基礎化学力)も、資本力も、エンジニアリングもきわめて優秀です。戦後はアメリカの化学企業も台頭しましたが、やはり化学産業においては、ヨーロッパの存在感が強いのです。
日本との比較で特徴的なのは、「ケミカルエンジニアリング」でしょう。
そもそも化学産業においては、新しい化学物質を発明する「ラボ」の力より、それを商業ベースにスケールアップさせる「プラント」の力のほうが重視されます。前者に関わるアドバンスケミカル(応用化学)と後者に関わるケミカルエンジニア(化学工学)もまったく別の学問として存在しています。化学メーカーは、ケミカルエンジニア部門の人材・資本に最大投資を行っています。
個々の化学物質について有害かどうかを確認していくより、将来にわたって環境リスクのない工場を建設したほうが「商売」としては合理的です。いかに巨大なプラントで、同一の製品を、安全に、効率よく、正しいモレキュラー(分子)の量、製造するか。欧米の化学メーカーには、このポイントに重きを置く倫理観と、それを可能にするエンジニアリング力があるわけです。
しかし、日本の化学産業は、昭和時代から「モノマネ」主体のビジネスモデルで事業を構築しており、欧米のメーカーがどう製造しているのか、本質のところがわからないんです。トライアルアンドエラーを繰り返して「根性」でやってきた。それで日本中が公害だらけになってしまった時期もありました。環境を犠牲に安価な製品をつくることで、欧米に迫ろうとしていたわけです。
いまだに日本には、このエンジニアリングがありません。まったくないのです。大学の研究室に「化学工学」があるとしても、グローバルな水準に照らせば、まったく足りていないと言わざるをえません。
欧米の外資系化学企業は、リスクのある事業については、早々に事業ポートフォリオを組み替え、場合によってはファンドなどに売却します。たとえば、製造に関して環境負荷が予想されるような事業(PFASのような原料を使用する有機フッ素化合物製造)は、将来的なリスクになることが判明していたので、2000年前後あたりにはどんどん売却されていたわけです。そのころ、日本の某フッ素化学メーカーがICIのフッ素事業部を買収しました。他のフッ素化学メーカーも、自社技術だけでは優秀な有機フッ素化合物を製造できず、外資系企業から技術を買うことで対応していました(ジョイントベンチャー設立等)。
化学規制の遅れ
化学規制についても、欧米に比べて相当遅れています。かつてのアスベスト問題では、問題を認識しながらも規制が遅れ(20年)、結局、政府が多大な賠償金(年間1,500人死亡)を払うことになっています。他の化学物質でもおなじようなことが起きないように最善を尽くすべきですが……。
欧米では、疾病データの統計的な分析に基づいて、経済効果を算出することで規制が決まります。「この化学物質によってどのくらいヒトが死亡して、どのくらい疾病率が上昇して、どのくらいの保険料がかかって……」ということを正確に把握して、規制につなげているんです。
PFASでも、そのように規制を設けています。2023年、アメリカのEPA(環境保護庁)が、飲料水中のPFAS濃度の暫定値を「70ng/ℓ」から「4ng/ℓ」に引き下げました。そのときも、経済効果をシミュレーションした論文が根拠になっているんです。「飲料水中のPFAS濃度が「50ng/ℓ」である場合、アメリカ人一億人のうち、年間これだけの人が死亡し、これだけの人が疾病に罹患し、それによってこれだけ医療費が上昇してしまうが、それを「4ng/ℓ」に引き下げたら、死亡率と罹患率はこれだけ下がる、そうしたらこれだけの保険代が浮くことになる」ということを、きちんと算定しているんです(“Economic Analysis for the Final Per- and Polyfluoroalkyl Substances National Primary Drinking Water Regulation”)。
ところが、この重要な統計学的手法を、日本では使用する習慣がありません。
日本では、各省によって出てくる情報が変わります。いわゆる「縦割り行政」が、調査研究や情報公開というところまで及んでしまっている。PFASを含む化学物質の安全性については、日本では主に経済産業省、環境省、厚生労働省、農水省、総務省が取り組んでいますが、各省でその目的はバラバラです。もちろん 各省の存在目的が 企業、事業者、行政、消費者の立場であり権限委譲が曖昧であり 忖度された結果、化学的ではない場合が見受けられるのです。
研究所レベルでも、おなじことが起きています。環境省は、国立環境研究所を所管していて、経産省は、産業技術総合研究所を所管していますが、研究所ごとにPFASに関する見解は変わりますし、民間のコンサルタントやシンクタンクにおいても、どの省庁の影響下にあるかで情報が変わってくる。たとえば、経産省なら、みずほ(リサーチ&テクノロジーズ)の研究所と関係が深いといわれています。ニュースを見るときに注意してみてください。どの研究所から発信されているかによって、どの省庁の「情報」なのかがわかるかもしれません。
海外規制からの遅れは、このようなバックグラウンドが関わってくるでしょう。PFAS問題では、いろいろな情報の背景にある政治的な意図を読み解き、科学的に正しい情報を見極めることが重要です。EPAや経済協力開発機構(OECD)の情報は、まずサイエンティフィックに信用できるといっていいでしょう。
化学分析技術の遅れ
化学の分析技術についても、日本はだいぶ遅れをとっているというのが実感です。たとえば、35年ほど前、わたしが大学卒業後に入社した日本の分析機器メーカーで、水質分析を行いました。当時、大阪で、琵琶湖からの水道水から「カビ臭」がするという問題が起こっていたんですね。しかし、分析するにも指標がなかった。当時は、ヨーロッパからコーヒー・フレーバーの品質管理に使われる装置を導入し、分析していたような状況でした。
こうした事情はいまでも変わっていません。
PFASの分析についても、50ngを分析する場合と4ngを分析する場合では、分析装置から採水容器から異なってきます。50ngはともかく、4ngとなると最低でも0.4ngまで分析できないといけません。このような精密な分析には、装置や手法に厳密な配慮が必要です。
例えば、採水をする容器一つとっても、分析結果は変わります。PFASは、ガラスやポリエチレンに吸着性がありこのような容器は採水に適しません。またプラスチックボトルを成形加工するときに、金型から取り外すのに使われているのは、フッ素系の離型剤——つまりPFAS含有です。だからこそ、化学物質の分析においては、たとえば、容器はアセトンやメタノールで洗浄されたポリプロピレン容器ものに限るとか、すべてが克明にメソッド化されているわけです。
あるいは、国際標準化機構(ISO)からの認証も、化学分析においては重要な要素です。
しかし、日本の分析メーカーには、この国際水準に達している企業がなかなか存在しないのです。「化学工学」同様、「分析化学」も効率化の元で外注依頼にしてしまった結果、あらゆる機関での分析能力低下により日本の分析企業がPFASを分析しようとしても、まずこの水準に達していないのが現状です。
PFASは、きわめて微量にあるものなので、仮に水道のプランジャーポンプの加工でPFASが使われていたら、それを計ってしまうことになりかねません。にもかかわらず、その分析値には社会的な重みがあって、どんな数値が出るかによって対応や負担が変わってくる。分析がきわめて重要な問題なのです。
伝統的な浄水法の見直し——武蔵野の境浄水場
一方で、安全な水について考えるとき、むしろ日本の伝統的な浄水法に注目しているんです。なかでも、東京都武蔵野市にある境浄水場は、大変興味深い。大正時代に完成した浄水場で、もともと「やんごとなき方々」にきれいな水を給水するためにつくられたといわれています。地元の武蔵野市民はここの水を飲んでいません。都心部の限られた地域だけに供給されていると聞いています。
この浄水場では、化学物質を使わない、伝統的な浄化技術がいまでも活かされています。微生物が多量に付着した砂を使い、相当な時間をかけて行う浄水法です。浄水といえば、いまでは化学物質の塩素を使った方法が一般的ですが、それは主に戦後に定着した手法なんです。
「化学物質を使わない」浄水法といっても、非科学的なわけではありません。この技術は、いまでいう「バイオテクノロジー」で、科学そのものなんです。「活性汚泥」を用いた緩速ろ過処理というものですが、そのなかでも、境浄水場の浄化システムはじつによくできているんですね(参考:「生物浄化法の緩速ろ過処理の見直し」)。
ここで一度浄水に使った砂は、再度洗って使います。このときの水が、浄水場周辺の公園から出てくるようなので、ぜひ調査をしてみたいんです。どんな微生物がいるのか……。それを合成しておなじものがつくれたら、きわめて優秀な浄化システムができるはずですよ。