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だが、なおも前進せよ

セルゲイ・エイゼンシュテイン

酒井次男訳

Published in 1952|Archived in April 15th, 2025

Image: Sergei Eisenstein, “Battleship Potemkin”, 1925.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

本稿の原文は『イスクゥストヴォ・キノ』誌(1952年第1号)に掲載された。自身の論文選集のために用意した「つねに前進せよ──あとがきにかえて──」(1947年)の短縮版と推察される(『エイゼンシュテイン全集 6』〈キネマ旬報社。1980年。290ページ〉)。
底本で「未完の遺稿」として発表された本稿だが、不明瞭な点も少なくない。詳細をご存じの方がいれば、ご一報いただければ幸いです。
可読性を鑑み、現代的な表記に改めた(旧字・旧仮名遣い・旧語を新字・新仮名遣い・新語に改め、一部漢字を開閉し、用語統一を施し、誤字・脱字・誤植を直した)。
ARCHIVE編集部による補足は〔 〕に入れた。
底本の行頭の字下げは上げた。

BIBLIOGRAPHY

著者:セルゲイ・エイゼンシュテイン(1898 - 1948)訳者:酒井次男
題名:だが、なおも前進せよ!原題:ソヴェト映画は頂點にたつした だがなおも前進せよ!
初出:1952年
出典:『ソヴェト映画 = Советское кино 3(8)』(世界映画社。1952年。10-11ページ)

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だが、なおも前進せよ

ミケランジェロの古い手紙をのぞいてみると、この手紙は、しばしばうめき声となってわたしの耳を打つ。
 
システィーナの礼拝堂の天井画に取り組んでいた時代のミケランジェ口の訴えは、まったくうめき声である。
 
手紙を読みながら、わたしは当時のミケランジェロに思いを馳せる。数ヵ月にわたって不自然に曲げ続けられた体……あおむけの顔、しびれた手、鉛のように重い足……。
 
漆喰 ・・ は、容赦なく充血した眼のなかへ垂れてくる。
 
道具は手から滑り落ち……
 
眼はまわり……足場は揺れ動いているような気がする。
 
だが、苦しみの数ヶ月が過ぎ去ったとき……
 
足場は取り払われ
 
しびれた手足は自由になり
 
体はしゃんとまっすぐに
 
頭は誇らしげに持ち上げられ
 
……創造者は高く上を見る。かれはそこに、自分の創作を見、その円天井を通して、はるかな果てしない青空を見る──
 
ルネサンス時代の優れた人々が努力した、新しい人間精神の形成とその力強い謳歌とは、この壁画のなかで見事に完成している。
 
ある人々(一部の愚か者かもしれない)はこう尋ねるだろう──
 
ルネサンス時代の巨人たちの創作と並び立つことのできる絵画や彫刻はどこにあるのか?
 
「ダビデ」に取って代わることのできる、より進歩した彫像の大群はどこにあるのか?
 
「最後の晩餐」を顔色なからしむるような壁画はどこにあるのか?
 
「システィーナのマドンナ」が色褪せて見えるような絵はどこにあるのか?
 
諸民族の創造精神は廃れたのか?……人類の創造意欲は衰えたのか?
 
だが──
 
わたしたちの時代は、摩天楼という芸術がバシリカ建築とまったく異なるように、あるいはロケット機がレオナルド・ダ・ヴィンチの構想とはまったく違うように過去の芸術とは別な芸術によって、その伝統を受け継いでいるとわたしは考える。
 
このような新しい芸術の創作というものは、社会主義国家を生み出した二十世紀の時代を、ほかの時代と同一に見ることができないのと同じように、ほかの時代の芸術と同じ目で見ることはできない。
 
この新しい芸術は、過去の音楽と比較される新しい音楽でもなく、古い絵画を乗り越えようとする新しい絵画でもなく、かつての演劇よりも突き進んだ新演劇でもない。それらのものを一つに結びつけた、まったく見事な、新しい種類の芸術である。
 
それは「映画」だ。
 
このような総合芸術を、ギリシャ人はすでに文化の黎明期に夢見ていた。その後も、ディドロワグナーやスクリャービンらによって呼びかけられてきた。
 
しかし、それはまだ、搾取、征服、抑圧などが支配していた時代においてであった。そのころは、まだ社会主義国家が現実にはなかった。
 
輝かしい我が祖国の誕生とともに、その指導者が、「あらゆる芸術のなかで、最も重要なものは映画である」と指し示しているのも、ゆえなきことではない。
 
そしてまた、わたしたちが、映画を、最も進んだ、革命の勝利の時代を表現する芸術として新しい人間像を創りうる芸術として受け入れたのも、ゆえなきことではない。
 
こうして映画は、ほかの芸術とは異なる手法で貫かれ、音──演技──写真──現像──衣装、そして監督の才能と個性などの高度な協力の結晶として現れた。
 
数百万人の精神の表現者であるフィルムは、集団の協力のうえに成り立っている。その一点で、映画は、ミケランジェロのひとりぼっちの労作とは根本的に異なっている。
 
ミケランジェロは独りで背をのばして、円天井を見上げた。
 
わたしたちは、みんなで背をのばして
 
現像タンクから
 
色彩フィルターと捲取機から
 
ライトとスタジオから
 
シナリオと楽譜から
 
目を離して、円天井を見上げよう!
 
そこには何が見えるだろう?
 
壁画の向こうに青空が見えたように、わたしたちの前には新しい見通しと限りなく開かれた可能性の地平線がある。
 
かつて、老いぼれたアダムの像のなかに、新しいアダム──ルネサンスの人間が目覚めたように、わたしたちの前には、映画における新しい人間像が立ち上がっていく。
 
仰向いて未来を見上げるときに、わたしたちの胸は踊る。
 
わたしたちは、いま、半世紀にわたる映画芸術のピラミッドの頂点に立っている。底辺は幅広く大きく、その切り立った壁はそびえたち、頂上は誇らかに高く突き出ている。そして頂上から先には、限りなくのびていく空想の広がりがある。
 
我が映画が反映しなければならない、新しい意識と新しい世界の姿は、このように果てしない。
 
見よ!
 
立体映画というものの登場によって、スクリーン自身が、劇場内部の空間を占領し、また、テレヴィジョン技術の奇蹟が、劇場外の空間をもその範囲に獲得している事実を──
 
映画は、自然を支配するための新しい武器である。
 
この武器をもたらした社会の発展と、この武器を手にすることによって生み出された、さらに力強い芸術的な創作意欲とは、いま、この武器がもっと新しいものをつくりだすことを望んでいる。
 
わたしたちのあいだには、全世界の観客に、なにを、いかにして見せるかという根本的な問題の爆発が起こった。
 
新しい任務を受け入れるために、わたしたちの意識を広げること。
 
一つ一つの課題を解決するために、思想を高めること。
 
未来のために、過去の経験を動員すること。
 
疲れを知らずに創造の仕事を続けること。
 
二十世紀の最も偉大な思想であるレーニン、スターリンによって生み出された、この偉大な芸術のために!
 
映画芸術は、この偉大な思想を大衆のなかに持ち込むためにあるのだ。

この遺稿を読まれる前に(『ソヴェト映画』編集部より)
 
エス・エイゼンシュテインは、一九四九年〔正しくは一九四八年〕二月十一日、この論文を書きあげるために、真夜中の仕事部屋でペンを持ったまま、病によって亡くなった。この論文は、ソヴィエト映画三十周年記念のために書かれたものであるが、彼の死後未発表になっていたのを、『映画芸術』誌一九五二年第一号に発表された。
 
エイゼンシュテインの死の直前の作品は「イワン雷帝・第二部」(一九四六年)であったが、これについてソヴィエトの党と人民は、「形式のみを探求し、歴史を正しく捉えていない」と批判した。エイゼンシュテインは批判を受け入れて、第二部の改作にとりかかることになり、さらに第三部を総天然色で製作する計画を立て、それらの仕事のなかで批判を身をもって生かそうとしたが、着手しないうちに世を去ったのである。
 
エイゼンシュテインの受けた批判は、同時にソヴェトのすべての作家の問題であり、批判を受けるとともにすべての映画作家が、ここの論文のなかでエイゼンシュテインの言っているように「半世紀にわたるピラミッドの頂点に立ったソヴィエトの映画芸術」を、いかにしてなおも無限に発展させていくかということで、血のにじむような努力をはじめた。
 
この論文は、エイゼンシュテインをはじめとするソヴィエトの映画作家たちの、より新しい芸術を創造するためのうめき声であるとともに、絶え間なく発展していく社会主義の祖国に対する信頼と愛情と歓喜、すばらしい芸術の未来の確信を綴ったものである。
 
この論文が今年のはじめに発表されたのは、ここにエイゼンシュテインの提出している問題が、いまや、ソヴィエト映画の最も重要な問題となってきているからである。本号の「ソヴィエト映画ニュース」映画物語「クバンのコサック」も、それぞれこの問題を反映している。併せて読まれることを望みます。(編集部)