HUMANITIES

被造物の賛歌|遺言

アッシジのフランチェスコ

中山昌樹訳

Published in circa 1224, 1226|Archived in April 23th, 2025

Image: Jusepe de Ribera, “Saint Francis of Assisi”, 1642.

EXPLANATORY|SPECIAL NOTE

本稿は、フランシスコ教皇(1936 - 2025)に弔意を捧げるために収録した。
「被造物の賛歌」は、旧字・旧仮名遣いのみを新字・新仮名遣いに改め、誤字・脱字を直した。
「Cantico delle Creature」は、原文ママ。
「遺言」は、旧字・旧仮名遣い・旧語・文語を(文意を変えない範囲で)現代的な表記・表現に改めた。

BIBLIOGRAPHY

著者:アッシジのフランチェスコ(1182 - 1226)訳者:中山昌樹
題名:被造物の賛歌(原題:Cantico delle Creature)|遺言
初出:1224年ごろ(「被造物の賛歌」)、1226年(「遺言」)
出典:『アッシジの聖フランチェスコ』(新生堂。1934年。403-408、449-452ページ)

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被造物の賛歌

神を褒め称えんがために、聖ダミアノにありて病みてありしとき
祝福されしフランチェスコのつくりし被造物の頌歌ここに始まる。
 
 いと高き全能の善き主よ
讃美と、栄光と、尊崇と、すべての祝福とは、汝のものなり。
いと高きものよ、ただ汝のみこれを受くるに足り
そうして何人も汝をあげつ らうには足らざるなり。
 
 汝のもろもろの 被造物 つくられしもの のゆえに、わが主を讃美せよ
特に、 兄弟太陽 フラーテ・ソーレ のきみゆえに、然すべし
かれ 日を来たらし、また光をもたら す。
かつ彼は大いなる輝きもて麗しく照り ゆ。
いと高きものよ、彼は汝の 御姿 みすがた を宿せり。
 
  姉妹 ソラ なるルーナ と、もろもろのステルレ のゆえに、わが主を讃美せよ
天にありて神かれらを、清く貴く麗しきものに造りたまえり。
 
 兄弟なるエント のゆえに、空気と雲と
晴れとすべての時候とのゆえに、わが主を讃美せよ
これらのものによりて彼の被造物を、 生存 いきながら えしめたまう。
 
 姉妹なるアクア のゆえに、わが主を讃美せよ
これ益多くしておとな しく、貴くして清きものなり。
 
 兄弟なるフォク のゆえに、わが主を讃美せよ
これによりて汝、闇を照らしたまう
かつ彼は麗しくして快く、盛んにして強きものなり。
 
 われらの姉妹にして母なるテルラ のゆえに、わが主を讃美せよ
こは生命を与えてわれを護り
またもろもろの を、いろど られし花と草とともに生ぜしむ。
 
 汝の愛ゆえに 相容 あいゆる
また脆弱と困苦とに堪えうる人々のために、わが主を讃美せよ
平和のうちに忍ぶものは幸いなるかな
汝いと高きもの、彼らに冠を戴かしめたまわん。
 
 われらの姉妹、すなわち肉体の死のゆえに、わが主を讃美せよ
何人もこれより逃がれて生くるものなし
死の罪を負いて死するものは禍いなるかな
いと聖き 御旨 みむね のうちにあるを見らるる人々は幸いなるかな
第二の死かれらを損なうことなければなり。
 
 汝らわが主を讃美して拝み
いたく 譲讓 へりくだ り、感謝して彼につか えまつれ。

Cantico delle Creature(ORIGINAL TEXT)
 

INCIPIUNT LAUDES CREATURARUM
QUAS FECIT BEATUS FRANCISCUS AD LAUDEM ET HONOREM
DEI
CUM ESSET INFIRMUS AD SANCTUM DAMIANUM.

 
ALTISSIMU, onnipotente, bon signore,
tue so le laude la gloria e l'onore et onne benedictione.
Ad te sole, altissimo, se konfano
et nullu homo ene diguu te mentovare.
 
 Laudato sie, mi signore, cum tucte le tue creature
spetialmente messor lo frate sole,
lo quale jorna, et illumini per lui;
Et ellu è bellu e radiante cum grande splendore;
de te, altissimo, porta significatione.
 
 Laudato si, mi signore, per sora luna e le stelle,
in celu l'ài formate clarite et pretiose et belle.
 
 Laudato si, mi signore, per frate vento
et per aere et nubilo et sereno et onne tempo,
per le quale a le tue creature dai sustentamento.
 
 Laudato si, mi sigore, per sor acqua,
la quale è multo utile et humele et pretiosa et casta.
 
 Laudato si, mi signore, per frate focu,
per lo quale ennallumini la nocte,
ed ello è bello et jucundo et robustoso et forte.
 
 Laudato si, mi signore, per sora nostra matre terra,
la quale ne sustenta et governa
et produce diversi fructi con calorite flori et herba.
 
 Laudato si, mi signore, per quilli ke perdonano per lo tuo amore
et sostengo infirmitate et tribulatione.
benti quilli ke sosterrano in pace,
ka da te, altissimo, sirano incoronati.
 
 Laudato si, mi signore, per sora rostra morte corporale,
de la quale nullu homo vivente po skappare:
guai a quilli ke morrano ne le peccata mortali;
beati quilli ke se trovarà ne le tue sanctissime voluntati,
ka la morte secunda nol farrà male.
 
 Laudate et benedicte mi signore et rengratiate
et serviteli cum grande humilitate.

遺言

いかなる方法によって神が、自分を、兄弟フランチェスコを、 改悔 かいげ しめるようにはじめられたかを見よ。罪のうちに生きていたとき、らい 病人を見ることは、自分には大なる苦痛であった。しかし神御自身が自分を彼らのうちに導かれて、自分は暫時そこにとどまっていた。彼らから去ってきたとき、自分にとって苦々しく思われていたものが、甘美になり快くなってきた。
 
世を逃れてのちしばらくして神は、その数々の会堂において自分に、きわめて大いなる信仰を与えられ、自分は単純な心をもってひざまづ いて言った。「主なるイエス・キリストよ、ここおよび世界にあるすべての会堂において、我らは汝を崇めまつる、かつ汝の聖き十字架により、世界をあがな いたまいしことに対して、汝を称えまつる」と。
 
しかのみならず、聖ローマ教育の形式に準じて生活する司祭により、自分にきわめて大いなる信仰を与えられもし、またいまなお与えたまう。そして自分は、たとえ彼らが自分を迫害したとても、その僧侶たる資格のゆえに、彼らに帰依することを止めなかったのである。さらに仮に自分がソモロンの智慧のすべてをもっていたとして、そして貧弱な俗僧たちのいるのを認めたとしても、自分は彼らの教区内において、彼らの許可なしには伝道しなかったであろう。自分は他の人々と同様に、彼らを尊敬し、わが主君たちとして彼らを愛し、敬わんことを願望する。彼らのうちに「神の子」を見、また彼らはわが主君たちであるがゆえに、自分は彼らの罪悪を考えはしない。かく自分がなすわけは、彼らが受け、彼らのみが他の人々に分配する、至高の「神の子」の肉体と血とをほかにしては、ここ下界に彼の形体を示す、なにものをも認めえないからである。すべてのものに優って、この最も神聖なる神秘をまったく尊崇し、それを貴きものとして自分は守るのである。イエスの聖き御名や、彼の言葉が、穢らわしき場所において聞かれるときに、自分はそれを取り去りたく願望し、また他の人々がそれを取り去って、ある適当な場所に、それを置かんことを祈る。私たちは私たちに霊と生命とを与えるものとして、すべての神学者と、神のいと聖き言葉を宣伝する人々とを、敬い尊ばねばならぬ。
 
主が自分に若干の兄弟たちを与えたまいしとき、自分はいかになすべきであったか、何人も示すことをしなかった。しかし至高者自ら、聖き福音の方式にしたがってわが生活すべきものなることを、啓示したまうたのであった。自分は一つの短い単純な規則を書かした、そして主なる法王はそれを、自分のために認可した。
 
自らかかる種類の生涯を遵守しようと志した人々は、彼らの所有し得るほどのものを、みなことごとく貧民に分配した。彼らは一枚の内からも外からも綴られた下衣をもって満足し、縄をおび として股引きを履き、そして私たちはその他のなにものをも願望しなかった。
 
僧たちは勤行を他の僧侶たちと同様に 誦唱 ずしょう し、そして平信徒はPater noster(我らの父よ──主の祈り)を唱えた。
 
私たちは憐れな見棄てられし会堂に生活することを好み、そして私たちは無学であって、すべての人々に服従した。自分は自分の手で労働し、またしつづける。かつまた他のすべての托鉢僧たちも、ある正常な職業に従事せんことを望む。職業なきものをして、その一つを学ばしめよ。彼らの労役の代償を受けんとの、目的のためではなく、彼らの有する善き模範のため、また 懶惰 らいだ を免れんがために。人々が私たちの労働の代償を私たちに与えないときには、私たちをして「主の食卓」に赴き、戸より戸へと、私たちの 麵麭 パン を乞わしめよ。そのとき私たちの語るべき挨拶を、主が自分に啓示したまうた、「神汝に不安を与えたまわんことを」と。
 
私たちが「規範」のうちに誓約した聖き貧困にまったく適合せざるかぎりは、兄弟たちをして会堂や、住家や、または彼らのために人々が建てる、すべてのものを受けざらしめよ。かつ彼らをしてそのなかに、旅人または巡礼者としてのほかは、歓迎を受けることなからしめよ。
 
いかなる場合にあっても、直接にもあれ間接にもあれ、あるいは僧院、あるいは伝道という口実のもとに、ローマ法王廷から、いかなる法王令も、また彼らの個人的庇護さえも乞うことを、自分はすべての兄弟たちに禁止する。彼らがもしある場所にて受け容れられざれば、神の祝福をもってかく懺悔をなしつつ、他のところに赴かしめよ。
 
自分はこの兄弟団の団長、および彼が自分に与えんと欲する守護者に、服従せんことを願望する。自分は身を全然彼の手に委ね、彼は自分の主なれば、彼の意志に反してどこにも行かず、いかなることもなさざらんことを願望する。
 
自分は単純で病弱であるが、しかし「規範」にいってあるように、勤行を果たしてくれる一人の 侍僧 じそう を、自分はもっている。すべて他の兄弟たちをしてまたひたすら、彼らの守護者に服従し、「規範」にしたがって勤行を遂行せしめよ。万一「規範」にしたがって勤行を果たさざるもの、またはいくらかの変化を加えんと欲するもの、あるいはカトリック教徒たらざらんとするものあらば、すべての兄弟たちをして、どこに彼らがあろうが、必ず従順に彼らを、最も手近い 看守人 クストーデ に引き渡さしめよ。看守人たちは必ず従順に彼を監視し、捕縛されし人のごとくに昼夜よく警護し、彼らの手より逃走しないようにして、彼を 教職 マエストロ の手に渡さねばならぬ。教職は必ず従順に、昼夜彼を囚人として警護する兄弟たちを伴わせて、これを送致し、主なるオスティア(Ostia)の監督の手に、彼を置かればならね。この監督は兄弟団全体の主であり、保護者であり、また矯正者である。
 
そして兄弟をして言わしめざれ、「それは一つの新しき『規範』である」と。けだしこれは反復であり、警告であり、勧告であるのである。これは私たちが主に守らんことを誓約した「規範」を、さらに一層カトリック的に守り得んがために、自分、すなわち小さき兄弟フランチェスコが、汝ら、すなわち祝福されし兄弟たちに対して作った「遺言」である。
 
もろもろの団長、すべて他の教職と看守人たちとをして従順に、これらの言葉になにものをも加え、あるいは減ずることなからしめよ。彼らをして「規範」のほかに、この書を彼らのそば近くに、常に置かしめよ。かつ開催せらるべきすべての僧会において、「規範」が朗読せらるるときに、これらの言葉をしてまたともに朗読せらるるようにせよ。
 
すべての兄弟たち、僧侶、また平信徒たちが従順に、その説明という仮託のもとに、「規範」やあるいはこの「遺言」に註解を加えはじめることを、自分は絶対に禁止する。主が自分に注解なしに、「規範」とこれらの言葉とを、明瞭に単純に語り、また書かしめたまうがゆえに、同じ方法においてこれを理解し、終局にいたるまでこれを実行せよ。
 
何人にてもこれらのことを遵守するものの、天上において天父の祝福の冠を受けんことを、また地上においては、すべての天上の諸徳と聖徒たちとの助けにより、彼のいと愛しみたまいし「子」、および 助主 たすけぬし 聖霊につける人々とともに、崇められんことを祈る。
 
そして自分、すなわち汝らのしもべ なる小さき兄弟フランチェスコは、そのあたうかぎりを尽くして、このいと聖き祝福を汝らのうえに注ぐ。アーメン。